だから「諦めないこと」。

oxyfunk2004-12-30

 ▼今年最後!と決意して地元の書店へ。近所ではどういう本が平積みになっているのかを知るのは、自分の読書の偏りを調整するためにも欠かせない。今年購入した本のうちで地元の書店にも置かれているのは、いわゆる「ニート」系の若年労働問題関係が多い。もはやこれは流行の域に達していると思うのだが、それらには「若者=潜在的にやばい→被害が拡大する前に○○××」という印象をもっている。これが「潜在性」を管理の対象にしている点はアメリカのセキュリティ管理とほとんど同じであり、基本的には内在的他者への不安なのだと思う。
 若年労働問題も、マーケッティング的なものも、若者を他者として対象化している点では同じである。他方の若者もその語り口が大人を他者として対象化している点では大人と同じことをしている。双方でわかりあえない他者を想定している限り、語れば語るほど他者のわからなさに焦点が定まってしまうことがあるのだろう。異様な盛り上がりは「他者のわからなさ」の共犯性を前提にしているのではないか。
 これは大人/若者に限ったことではないはずだ。男/女、勝ち組/負け組、正義/悪、●●人/○○人…。こうした二分法の無限生成から完全に逃れることはできないだろう。それはそれで社会を調整してくれる面もあるのだから。だからこそ「他者のわからなさ」を簡単には引き受けないで、「これは二分法的に捉えなくてもいいんじゃないか」と考えてみることに希望が託される。「ニート」がやばいのではなく、「やばい」がつねに設定され、それに何かのネタを当てはめようとすることがどうにもこうにも止められないのがやばいはずである。
 ニュースとエンターテイメントが共存しているテレビ番組において、「あー、またこのネタ、この展開!どうにもこうにも止められないんだな…」と思うことは少なくない。けれども、特定の誰かが悪いんじゃないはずだ。他者を「好きだから」「わかるから」ではなくて、「嫌いだから」「わからないから」こそ、切り開かれる「やさしさ」はきっとあるはずだ。
 だから「諦めないこと」。これが来年の目標でもある。来年もよろしくお願いします。


 ▼結局購入したのは、石田衣良アキハバラ@DEEP』(文芸春秋、2004年)。秋葉原に特別な思い入れはないけれども、森川嘉一郎趣都の誕生:萌える都市アキハバラ』(幻冬社、2003年)と合わせて「アキハバラの描かれ方」を知るにはいいのかも。カタカナって便利だよなー。迷ったのは、そのまんま東『芸人学生:僕が学びつづける理由』(実業之日本社、2004年)。細かいことは置いといても、学部を出てしばらくしてからいきなり大学院生をめざす人にとって「学部」とはどういうところなのかを素直に語ってくれているような気がする。大学院だけが2度目の「学び」の場ではないことを社会人はもっと積極的に受け入れてもいいはずだ。仕事→研究生→院生という道を選択した僕は、自分の経験からもそう思う。しばらく前に盛り上がっていたが、大学院に行く前には大学院において自分ができることとできないことを知っておく必要があるのだ(修了することが目的なのではないし、それが学部の役割でもあるはずだ)。東よ、専門職大学院に急ぐ必要はない。自衛隊が気になるのなら、その後でもいいと思う。


 ▼知識社会学・歴史社会学科学社会学構築主義・言説分析から正統的周辺参加の学習論・ヴィゴツキーの言語論・ロシア形式主義バフチン言語哲学・メディア論まで断片的だったものが執筆においてリンクした日。これが「覚醒」なら、もうちょっと早くきてほしかった…。