古本の書き込み

 ここのところは体調がよくない。最悪なことに腰痛もでてきた。連日何時間も同じ姿勢でじっとしているのは、どう考えても身体に良くない。執筆中にジム通いやジョギングを薦めてくれた先輩や仲間は少なくないし、「適度の運動は絶対必要」のアドバイスは、取り返しがつかなくなる前に実行すべし。ちょっとだけ河原に出て、体操で身体を十分に暖めてから軽く走ってみる。これで思考もリフレッシュできればよいのだが。
 広告制作者の歴史は、戦後日本の社会意識を浮かび上がらせるものとして扱われることになるだろう。僕の場合は感性やセンスの「存在証明」を目指すものではないが、それらが時間をかけて段々と語られるようになったことの「意味」を探す旅は、見田宗介真木悠介さんの一連の仕事や栗原彬さんの「やさしさ」の仕事周辺に(とりあえずの)停泊地を見つけそうである。
 そんなこともあって先輩に頂いた『リーディングス 日本の社会学 12 文化と社会意識』(見田宗介・山本泰・佐藤健二編、東京大学出版会、1985年)を開いたら、最後の頁にこの本のかつての読者なのかもしれない誰かの詞があった。古本の面白さはこういうところにある。「汚い」とか「読みにくい」とかに回収されない古本への書き込みの面白さ。いまここにある本は、それに刻みこまれた僅かな筆跡からかつてあった「空気のそよぎ」を感じさせてくれるのである。オリジナルかどうかは分からないが、ちょっと引用させてもらおう。

今若者はみんなAMERICA それも西海岸に
憧れていると雑誌のグラビアが笑う
そういえば友達はみんなAMERICA人になってゆく
いつかこの国は無くなるんじゃないかと問えば君は笑う
 馬鹿だね そんな風に 自然に
 変わっていく姿にこそ それこそ
この国なのよ さもなきゃ初めから ニッポンなんてなかったのよ
I'm all right I'm all right
そうだね いやな事すべて切り捨てて こんな便利な
世の中になったし
 
どこかの国で戦さが起きたとTVのNEWSが言う
子供が実写フィルムを見て歓声をあげてる
皆他人事みたいな顔で人が死ぬ場面を見てる
怖いねと振り返れば番組はもう笑いに変わってた
 わかってる そんな事は たぶん
 ちいさな出来事 それより
僕等はむしろこの狭い部屋の平和で手一杯だもの
I'm all right I'm all right
そうとも それだけで 十分に僕等は忙し過ぎる
 
桃花鳥(トキ)が七羽に減ってしまったと新聞の片隅に
写りの良くない写真を添えた記事がある
ニッポニア・ニッポンという名の美しい鳥がたぶん
僕等の生きてるうちに この世から姿を消してゆく
 わかってる そんな事は たぶん
 ちいさな出来事 それより
君にはむしろ明日の僕達の献立の事が気がかり
I'm all right I'm all right
それに僕は君を愛してる それさえ間違わなければ

 「ロック」でしょうな、これは。「俺はちょっぴり社会派だからみんなと同じ風には乗れない、でもお前は愛してる、だからI'm all right」的世界。ローリー寺西曰く、ロックは「勘違いの美学」なのだから、これに「勘違いしてませんか?」と丁寧に突っ込みをいれても「ロック」は揺らぐどころかますます強化されていくのだろう。
 それでも雑誌を「グラビア」と言ってみたり、テレビを「実写フィルム」と言ってみたり、新聞に目を通してみたりしている点に着目すれば、歌詞の作者はメディアと人間との関わりになんだかしらの関心のある人だったのだろう(なんで僕の言っていることに気がついてくれないんだ!的スターダムがちらほらするところでもあるが)。となると、「ロック」は「僕」が信じている世界とメディアによって構成される世界とのズレが強調されるところに浮かび上がってきているのかもしれない。メディア・リテラシーを発動せよとはいわないが、ロックのなかのメディア観を切り取っていくことで、当時のメディアをめぐる想像力の一面を知ることができるのではないだろうか。
 古本の書き込みは、そのままにしておきたい。