「あの日」はテレビが壊れていた

oxyfunk2004-09-10

 3年前の「あの日」にはテレビが壊れていた。だから「あの時間」にはラジオを聴いていた。「Yo、みんな、なんかニューヨークがとんでもないことになっているみたいだぜ」とHIPHOP的なしゃべりを流していたJ-waveが「例の瞬間」を教えてくれたのだ。
 なにがなんだかわからないまま、僕がしたことは4つのこと。(1)FMでは状況を知ることができないと思い、AMのNHKにチューニング。(2)当時でいうところのネットサーフィンをしていたので急遽アメリカ情報収集のためwww.cnn.comとwww.indymedia.orgへ。前者は接続がほぼできなかったが、後者はシアトルWTO騒動関係で注目していたし、まだ訪問者が少なかったようでここではじめて飛行機が突撃した写真を観て、状況を知る。(3)ニューヨークに留学していた友人に電話。もちろんつながらない。(4)知人に電話。自分が知りつつあることが、その人も知りつつあるのかを確認。
 耳が熱くなり、行き場のない不安な気持ちのまま「とにかく明日は学校にいこう」と思ったのは、翌日に当時受講していた「情報政治論」があり、その担当教員の専門が「テロ」だったからである。当然ながら授業は休講、学生間でその教員は「フジテレビに出ている」と噂されていた。それと忘れられないのは、テレビを観ていた人の多くが「私は2機目が突撃するのを観た」と言い合っていたことである。正直なところ、これにはうんざりした。
 これが僕の「あの日」のこと。例の映像を観たからというよりは、例の映像を観ることがなかったために記憶している点が多い。コミカルに反ブッシュを叫ぶマイケル・ムーアの「華氏911」が話題となっているが、この映画と監督が話題化されること自体がコミカルな面をもっているし、この映画を観ることがアメリカ批判になるかというと単純にはそうでもないだろう。だから「観る/観ない」をわざわざ表明する政治家には「?」である。宮台真司朝日新聞(2004年9月10日朝刊)で示唆したように、アメリカの「悪」をブッシュの「悪」に還元し、ブッシュを批判することでアメリカを批判したつもりになるのは早計であろう。
 あ、論文の進行ですか?戦後日本の広告雑誌の通覧が終わり、ようやく書き始めましたです。