広告制作者とは誰のことか

oxyfunk2004-09-04

 ひさしぶりに「銀ブラ」。松屋銀座8階大催場の『時代のアイコン―日本のグラフィックデザイン50年』をちらり。週末の銀座とはいえ、会場はかなりの混雑模様。「そうそう、昔のテレビはこんな感じだったのよね」などと周りから聞こえてきたところから判断すると、“広告を観る”ということはその作者が誰でその人が何を考えているのかを知ることではないのだろう。改めていうまでもないが、このことはいわゆる美術鑑賞とは明らかにことなる鑑賞モードであることを僕たちに教えてくれる。“広告を観る”ことは、鑑賞者が想像する時代の空気を呼び起こすような記憶の召還行為であり、そこでは広告制作者は徹底的に背景よりも後ろに追いやられ、鑑賞の対象からはこぼれ落ちてしまう。
 僕はこのことを悲観的に、すなわち単純に「もっと広告制作者に注目すべきだ」とは思わない。上のような鑑賞のあり方は、商業美術なるものが誕生するときにその芸術としての位置を獲得するために選択された“作家性の脱色化”の帰結だと考えられるのだから。制作者が誰であるのかを気にしないまま、作品を鑑賞できることを可能にすることこそ、「商業美術」から「広告」へと続く近代のプロジェクトの一つだったのである。
 にも関わらず、本日のトークショー(第1部:中島祥文・佐藤可士和・永井一史・平野敬子、第2部:松永真・工藤青石・服部一成)は満員。しかし、広告が「時代」として鑑賞される状況においては、どうも制作者が話すことは「時代」の作品の話になりがちである。それはそれで興味深いところもあるが、それはふとすると「時代」の裏知識のようなものを仕入れる空間となってしまいがちである。それは、聴き手の個人的な時代を追憶するためには満足なネタを与えうるかもしれないが、作品を語る広告制作者は鑑賞者の前に現れているにも関わらず、作品の語り手として背後に追いやられたままかもしれない(作品の前面化/制作者の背景化)。
 広告を鑑賞するという行為において制作者の居場所は他にないのだろうか。そうしたなか、広告制作者として在ることの面白さを佐藤可士和が自らを広告をデザインするというよりは「コミュニケーション」や「状況」をデザインする職業人として捉えていたことは非常に興味深かった。それはかつてのポスターの時代に唱われた「経営と芸術を媒介する」者としての広告制作者のイメージとはかなり異なるものだ。現在のようにどこにでも遍在する広告を制作する人間のリアリティとしては正直な印象に思えるし、実際のところ広告として対象化される/発見されるメディアは変化しつづけているのである。この意味において、広告の歴史は広告制作者は何を広告として発見してきたのかの歴史といえるだろう。
 だから広告の50年は広告制作者の50年でもある。この間の広告制作者は「アートディレクション」という言葉に媒介されつつ、それに様々な意味・解釈・実践を織り交ぜながら現在にまで至っている。広告を鑑賞するそのどこかで、制作者が「制作者」としてどのように生きてきたのかを知る方法はないのだろうか。しかも、純粋芸術の鑑賞における作家性へ共感に回収されるのでもなく(反・作家性への還元)、作家性を脱色された作品鑑賞に陥るのでもない(反・テクストへの還元)、微妙かつ慎重な鑑賞=対象化の足取りのままで。
 広告における作家性。作品のようで作品ではないその制作者として生きること。広告制作者とはいったい何者なのか。それはなんとなく知っているようで、なかなか知れる機会がない。それでも広告を鑑賞することの意味論的拡大を個人的には望むし、そのことが芸術的な意味における他者としての「作家性」や、作品/言説として批判・評価の対象と化してしまう「テクスト性」から広告が逃れうるチャンスになるのではないかと思う。
 広告の制作者に目を向けることを、広告を他者の作品として鑑賞するための手段とも考えない。そうではなくて、広告の制作者に目を向けることを、私が広告制作者になったらどのように表現せざるをえないだろうという想像力を働かせるためのチャンスとしてみること。そうした入れ替え可能な存在として「広告制作者」を広告の展覧会において対象化してみること。それは制作者の前面化であると同時にその可変性を示すことである。制作者の背景化によってその可変性が閉ざされたように見える広告の展覧会には、そうした制作者の位置づけの変更が求められるのではないか。
 
※参考
・時代のアイコン―日本のグラフィックデザイン50年
http://www.matsuya.com/ginza/art/jidai/wd.html