「世界で勝負できるプロデューサー」とは誰か

 「私はそこにいた」を顕示する大塚英志の「おたく」論にはうんざりしてしまう。「おたく」はその嗜好が問題なんじゃない。対象への愛によって生み出される語りが奇妙なのだ。だから大塚が「おたく」かどうかはどうでもいい。「実はみんなが思っているよりもずっと前に、僕は○○と接触をもっていたんだよ」的語り。排他性を裏返しにした排他性。そうした独特の理解による<世界との接続の仕方>が示される時に少なからず違和感を覚えてしまうのだ。
 さて、その帰結かどうかはわからないがちょいとは気になる「おたく立国論」。デジタル・ハリウッド大学院大学だけではない。トーダイも「コンテンツ創造科学産学連携教育プログラム」なるものを始動させるとか。「科学」ですかい。「産学連携」ですかい。
 メディア・コンテンツはナショナルな枠組みを無効にしながら、トランスナショナルに流通・再生産されることを、岩渕功一が『トランスナショナル・ジャパン』で明らかにしたにもかかわらず、インターナショナル貿易の対象としてメディアコンテンツをナショナルの枠組みで捉えようとしているのは時代錯誤だろう。
 「世界で勝負できるプロデューサー」とは誰か。世界に引っ張り出したくてしょうがない人達がいる。国策として成功するものだけが支援されるのなら(しかもハリウッドを射程にすえて)、メディアコンテンツの将来は危うい。映画でもアニメでもゲームでも、国際コンクールという文化装置は相対化されなくてはならないのではないか。
※参考
・アニメのプロ、東大が養成 講師陣にジブリの鈴木氏ら
http://www.asahi.com/culture/update/0307/003.html