「醒め」の文体

 「株式会社大学」がやってくる。それにしても「デジタルハリウッド大学院大学」という名前はどうにかならんのか?せっかくのチャンスを活かしてほしいのに。「専門職」と「学問職」の人材育成は同じ「大学院」でも随分と温度差がある。もちろんそれぞれに大事だ。それでも多様な大学院生のニーズ(特に「時間の」)を過剰に混在させた状況は<学びの場>としてふさわしくない。これは双方にとって不幸なのだ。そうならないためにも、「デジタルハリウッド大学院大学」は「専門職」志向の人にとって魅力的な存在(名前)であってほしい。

□買い物□
・『文藝春秋』、2003年3月号、文藝春秋
 この手の雑誌を買ったことがなかった。中身が「あれだから」というんじゃない。形態学的に酷似した官能系小説雑誌と大差がないと本気で思っていたし。なにはともあれ「芥川賞」関連をパラパラ。金原が『69 sixty nine』、綿矢が『コインロッカー・ベイビーズ』『愛と幻想のファシズム』と、両者がよく読んだ作家として村上龍が挙がっていたことにふむふむ。ところで『文藝春秋』は文芸誌、論壇誌、それとも総合雑誌
金原ひとみ蛇にピアス
 醒めに醒めた「私」の描写に拍手。その徹底ぶりは、性行為や身体改造の生々しさをしっかりと背景に追いやっている。そうした金原の姿勢と向き合えていない石原慎太郎の感情的な選評こそ「浅薄」ではないか。「がんばって生きてる人って何か見てて笑っちゃうし、何でも流せる人っていいなあ」という彼女、「これからはもう少し適当さを微調整していきたい」とか。
綿矢りさ蹴りたい背中』もオモロ 予感。また明日にでも。
・上野直樹編著、『状況のインターフェース』、状況論アプローチ?、金子書房、2001年
・加藤浩、有元典文編著、『認知的道具のデザイン』、状況論アプローチ?、金子書房、2001年
・茂呂雄二編著、『実践のエスノグラフィ』、状況論アプローチ?、金子書房、2001年
 現在の指導教官なくして学習論との出逢いはなかっただろう。おかげで僕は狭い意味ではなく、領域横断的な行為としての<学び>に注目出来るようになった。「状況論や活動理論に依拠する研究や実践、デザインの試み」を、「認知、学習といったものを頭の中に何かができあがることといったことに還元せずに、実践や相互行為、道具の組織化として」見ていくもの。