<声のかけ方>

 新幹線に乗った。随分と騒音を出す乗り物だと思うのだが、乗ってしまえばその気がほとんどしないのは不思議不思議。おかげでしっかり眠れまス。
 さてこの2日間は論文を読み、その執筆者と読者が生産的な議論をする場を設定した。非難ではなく批判のために。この主旨は参加者に理解してもらえたのだが、僕の担当部分がどれほどその目的を達成できたかというと「?」である。
 僕の声は「あの人」に届いたのだろうか。提出したコメントには充分な応答をしてもらえなかった。もちろん僕の<声のかけ方>が遠回しになっていたかもしれないし、的を外した指摘に聞こえるような所があるかもしれない。それでも「あの人」が自分の選択を熱く強く信じていていることは印象に残った。しかし、そのことが他者に研究を開いていないようにみえてしまうところにどうしてもひっかかりを感じてしまう。
 自分の立場の説明に追われて、他者の呼び掛けに反応しきれないこと。実際こういうことは少なくない(自戒の意味を込めつつ)。それでも研究の精度は他者による呼び掛けとそれへの反応なしに判断することはできないのではないか。研究における<声のかけ方>。「あの人」に響く私の声とはどのようなものか。丁寧にしても乱暴にしても逃れられない難しさを見つけた気がした。