DJを語る「あの動き」

oxyfunk2004-02-23

 気になるといえば気になる。左手にマイク、右手はポッケ、の胴長な男性。何かがはじまりそうだ。彼の服装の賑やかな色彩は「ユニクロ」を思わせる。ところがそうじゃない。刻みはじめたブレイクビーツは「これってBGMじゃないかもしれない不安」をかき立てる。次々と横文字が画面に登場し、「あー、そういうことか」。
 舌をスプリットすればこんな音が出せるのかなーと思いつつ、やっぱり注目は「彼の右手」。観てるこちらがちょっと照れてしまう。いやいや、イイんです。きっと彼は気持ちいいのだから。それでも、スクラッチ音を発声する際の「あの動き」にはいろいろと考えさせられてしまう。
 「あの動き」は「DJするんですか?」と聞かれると同時に示されるものとかなり似ている。確かに「あの動き」はDJがターンテーブル上のレコードをスクラッチしている場面を連想させるし、実際そういう人は少なくない。
 ジェスチャーはある行為の社会的受容の(おそらく支配的な)一側面を示している。それだから模倣され、理解される。きっと「あの動き」は模倣のネタにもってこいの瞬間なのだろう。しかし、ネタ化された「あの動き」は、もはや真面目にDJを語るどころか、それをパロディ化してしまうことが少なくない。DJをめぐるイメージの転倒はこうして生じる。
 どんなジェスチャーでも、その使われ方次第でパロディ化してしまうことは避けられない。それでも僕は「あの動き」以外にもDJを語る方法があってもいいんじゃないかと思う。ピストン西沢みたいな手さばきだけがDJじゃないんだから。(△)
※参考
・ヒューマン・ビート・ボックス“AFRA”@富士ゼロックス
http://www.fujixerox.co.jp/release/2004/0206_afra.html
http://www.iijnet.or.jp/stream/XEROX/300k-0209cm1.ram

 戦争が社会ももたらす「精神的亀裂」のなかの「世代間断層」を取り上げたもの。本書はそのきっかけを第一次世界大戦にみていく。それはいかに「古いヨーロッパ」を揺るがし、どのような「精神的変動」を生み出したのか。「戦争を生み、若い世代を虐殺させた旧世代への告発」。それはエリクソンマンハイムハイデガーアーレントらに「不安」として襲いかかりつつも、同世代的に結びついていく。
 桜井は「この戦争が何を失わせたのかを的確に論じた人物」としてベンヤミン『経験と貧困』(1933)を挙げる。第一次世界大戦の「経験」が「経験」としての「相場」を下落させてしまったことは、世代間の断絶を生み、人間の関係性を変化させた。それは「経験」の崩壊であり、「経験」から切り離された「無機質な文化」(桜井)を生み出す。「国民」や「大衆」といった均質的「経験」を持つ人間はこうした契機から登場することになる。「今日の政治的問題」を考えるために、第一次世界大戦を一つの「決定的出来事」として捉え、その時代に生きた人間(主に知識人)の「不安」から現在を照射する試み。