一人暮らしのアーカイブ化

 都内へ行く時は「急行」が当たり前だった私にとって、所謂「上京」の経験はない。とはいえ高校卒業までは、「東京=山手線の内側、譲っても23区内」だと悪友に吹き込まれていたので、「03」という市外局番の省略が自明ではなく、「お前んちに電話すんの、めんどくせー」と言われたものである。上京する人々からみれば、神奈川も千葉も埼玉も「東京」なのであろう。しかしそこらの住民としては、「えーと…、新宿から急行で●●分、さらにそこから乗り換えて…」と屈折してしまう。駅名や地名ではほぼ認識されないという点が、ポイントである。

 だからこそ、「各駅停車」で物足りてしまう一人暮らしには憧れた。下北沢(先輩)、用賀(同級生)、三軒茶屋(後輩)にはよく通い、部屋をなめ回すように見た。雑誌『BRUTUS』に連載されていた、東京の普通の居住空間を集めた写真集『TOKYO STYLE』(都築響一、1993年)が出た頃である。分厚いテレビに、ダブルデッキのラジカセ、ゲームはまだスーパーファミコンで、ギターがあれば、不思議と格好良く見えたりもした。

 仕事を始めてからは、都内だけど23区外で一人暮らしをする友人が増えた。小田急線で言えば、喜多見、狛江、和泉多摩川である。厳密に言えば世田谷区に入る喜多見も、成城の丘を降りてしまえば、別世界である。東京なのに、東京じゃない。映画版の『NANA』やテレビドラマ版の『東京タワー』、そして映画化が待ち遠しい漫画『ソラニン』(あさのいにお)は、揃ってこの辺りを舞台としている。

 『賃貸宇宙』(上下巻、都築響一、2001年)は、当時の一人暮らしを充分に追体験させてくれる。分厚いテレビに加えて、コンピュータのディスプレイが仲間入り。ゲームはプレイステーションになり、部屋の隅にはターンテーブルや電子楽器が置かれ、その上にはフィギュアやフライヤーが並ぶ。意外なことに、携帯電話はまだ写り込んでいない。押し入れが机にもなるということを、物が増えてから知った。要するに、この頃の部屋は本当にゴチャゴチャしている。

 同世代におけるライフコースが多様になってからは、収入差がもろに反映されるようになった(涙)。「週末は車でゴルフ」的な友人関係に参入できていない私にとって、日常世界は未だ「賃貸宇宙」的である。こういう部屋は、いつの間にかそのようになってしまうもので、どこかで気持ちを切り替えない限りは、なかなか止められない。その意味において、スチャダラパーのボーズによる『明日に向かって捨てろ!!』(双葉社、2008年)は、単なる「捨てる技術」とは異なり、90年代的な「賃貸宇宙」からの00年代的な脱出方法となっている。ビデオはDVDに、半端フィギュアはネットオークションに、どこかの誰かが忘れていったこの派手なサングラスはどうする…。

 90年代論を本気で書くのならば、こうした「一人暮らしのアーカイブ化」が貫徹される前にやっておかないと、手遅れになってしまいそうだ。

賃貸宇宙UNIVERSE for RENT〈上〉 (ちくま文庫)

賃貸宇宙UNIVERSE for RENT〈上〉 (ちくま文庫)

明日に向かって捨てろ!!

明日に向かって捨てろ!!

 上の話とは全く関係ありませんが、文化社会学研究会で研究報告をしますので、お時間のある方はいらして頂けると幸いです。キャラ論そのものは不勉強ですので、その方面に詳しいお方のお知恵を聞かせて頂けたら幸いです。ちなみに個人的なお気に入りは、沖縄で出会った琉球新報の「りゅうちゃん」(http://diary.ryuchan.jp/)です。

第27回文化社会学研究会開催のお知らせ

日時:2009年2月28日(土) 午後3:00−6:00
場所:早稲田大学 14号館1060共同研究室(10階)
http://www.waseda.jp/jp/campus/waseda.html
報告者:加島 卓(東京大学大学院学際情報学府博士課程、日本学術振興会特別研究員)
タイトル:「表象批判の困難と政治過程の説明責任:デザインの語れなさと「せんとくん」の文化社会学