二つの「生きさせろ!」

 リラックスしたい時には、ギターをぶら下げる。ストラップが肩にかかる感覚は、不思議と落ち着くもので、大して指が動かないにもかかわらず、ブラブラと部屋のなかを歩き廻る。妄想体操みたいなものである。

 さて「生きさせろ!」と主張するのは、雨宮処凛だけではない。労働者派遣事業法の施行(1986年)、原則自由化(1999年)、製造業への派遣の解禁(2004年)といった政策の経緯、新規採用を控えてコスト削減を測りたい企業の論理、そしてコンピュータや携帯電話の普及による情報活用能力の前景化などを踏まえれば、確かに「ロスト・ジェネレーション=不安定雇用」という図式が成立しているように見える。しかしこうした不安定雇用者の増加により、同世代の正社員にも過剰な負担がかかっているのも事実だ。
 
 例えば不安定雇用者たちは「プレカリアート」と叫ぶが、正社員たちは「ワーク・ライフ・バランス」を叫ぶ。プレカリアートは「不安定な労働を強いられた人々」として「反撃」を図るが、ワーク・ライフ・バランスは労働過多による効率の低下を問題にして「仕事と生活の調和」を図る。不安定雇用者であれ、正社員であれ、問題が「成果主義による過剰労働」であることには変わりない。だからこそ、プレカリアートであれ、ワーク・ライフ・バランスであれ、両者は「生きさせろ!」という主張で共通してしまう。
 
 また興味深いのは、どちらの「生きさせろ!」であっても、根拠のない不勉強では、結局自分が損をしてしまうと警告していることである。思うように働けないにしても、思った以上に働かされてしまうにしても、「いま私は何をすべきなのか」というセルフモニタリングが逐次できるよう努力をしておかないと、悪循環から抜け出せないというわけだ。プレカリアートとワーク・ライフ・バランスは、ややもすると「負け組」と「勝ち組」という、二分された格差社会的な議論として聞こえる。しかしその問題意識と対処法に、大きな違いはない。
 
 つまりどちらの立場であれ、結局似たような問題意識と対処法を訴えることになってしまう議論の前提こそが問題なのだろう。その意味において、雨宮処凛(小説家)のトークショーに、小室淑恵(コンサルタント)が乱入するようなことがあってもいい。二つの「生きさせろ!」は、思ったよりも離れた話ではないのだから。

ロストジェネレーション―さまよう2000万人

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生きさせろ! 難民化する若者たち

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新しい人事戦略 ワークライフバランスー考え方と導入法ー

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 『マス・コミュニケーション研究』(第71号、日本マス・コミュニケーション学会、2007年)に、「〈広告制作者〉の起源:1920年代における「商業美術家」と形式主義の言説空間」という論文が掲載されました。基本的には、なぜ私が〈広告制作者〉の研究をしなくてはならないのかを、その起源にまで遡って述べたものです。記述が不安定な部分もありますが、特に強調したのは、美学的啓蒙の断念と心理学的動員の肯定がセットであること、芸術と広告との差異を「表象」に縮減しないで思考することの重要性、そして〈広告制作者〉を状況可変的な主体として捉えることの重要性など。掲載された学会誌は、学文社のウェブサイトから購入可能。しばらく待てば、国立情報学研究所の論文情報ナビゲータで検索して、ダウンロードできるようになると思います。

▼『マス・コミュニケーション研究』(第71号)
http://www.gakubunsha.com/cgi-local/search.cgi?id=book&isbn=978-4-7620-1719-3
国立情報学研究所・論文情報ナビゲータ
http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiTop