デザインは言葉である:東京五輪エンブレムと佐野研二郎

 2015年8月5日、東京オリンピックパラリンピックの「エンブレム」を制作した佐野研二郎(アートディレクター、多摩美術大学教授)と組織委員会マーケティング担当)による記者会見が行われた。2015年7月24日に発表してから約一週間後にベルギーのデザイナーが制作した劇場「Theatre de Liege」のロゴマークと「酷似」していることが話題になったからである。

・五輪エンブレム問題 制作者の佐野研二郎氏が会見

 既に述べたように(http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150730)、今回の事態は視覚的な類似点への気付きがインターネット上で拡散・連鎖したものであり、これに対して選考関係者やデザイン関係者がそれぞれの見解を述べていくという形をとっている。またこのように模倣を疑われたデザインに対して説明責任を果たしていくことは、東京オリンピック1964のロゴマークやポスターを制作した亀倉雄策の時代(1950年代〜1960年代)から繰り返されていたことでもある。歴史的いえば、亀倉だって模倣をしていた。それを認めて詫びることもあれば、反論として説明責任を果たすこともあった。だからこそ、亀倉は今でも評価されているのだ。

 本稿では、視覚的類似点への気付きが「模倣」と問題視されたことに対し、今回の記者会見では「デザインをどのように見ればよいのか」という説明が丁寧になされたという点に注目したい。というのも、こうしたやりとりは「デザインは言葉である」という社会的な事実をを再確認させてくれるからであり、また「私たちは何かしらの概念を用いることで、「見る」という行為をその都度達成している」ということも教えてくれるからである。

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 先に事実関係を確認しておくと、組織委員会によれば、リエージュ劇場のロゴは商標登録されていないので商標上の問題には当たらないとしている。また「盗用」ではないかという疑問に対しては、佐野氏から「先方のロゴマークは見たことがない、デザインの参考にしたことはない」との説明を受け、エンブレムの独自性を認めている。さらに、組織委員会は依頼時に「オリンピックとパラリンピックの関連性を持たせること」と「デジタルメディアでの展開も想定したデザインの拡張性を満たすこと」の二点をお願いしていたという。

 こうした前置きを踏まえ、まず佐野は盗用が「事実無根」であるとした上で、「この場で私がご説明することは、作成したエンブレムのデザインに込めた想いと具体的なデザインのディティールに関すること」と始める。そして「今回のオリンピック・パラリンピックのエンブレムは、アートディレクター、デザイナーとしてのこれまでの知識や経験を集大成して考案し仕上げた、私のキャリアの集大成ともいえる作品」であり、「力を出し切って、真にオリジナルなものができたからこそ、自信を持って世の中に送り出すようなものになった」とデザインの独自性を主張している。

 それでは、その独自性とはどのようなものか。どこをどのように見れば、そのデザインを理解することができるのか。そこで佐野はエンブレムの各パーツ及びそれらの配置をどのように見るべきかを説明する。

「まずエンブレムを制作する時に、一つの強い核を見つけたいと思いまして、いろんな方向性を試しました。その中の一つとして、TOKYOの「T」であるこのアルファベットの「T」に注目しました。いくつか欧文書体はあると思うのですけれども、そのなかでDibot(ディド)という書体とBodoni(ボドニ)という書体があり、これは広く世界に使われている書体です。それを見た時に、非常に力強さと繊細さとかしなやかさとかが、両立している書体だなと思いまして、このニュアンスを活かすことができないかというところから発想が始まりました」

 ここでは、エンブレムのデザインをアルファベットの「T」という形から見始めてほしいということが確認されている。そして複数の書体が存在することを示し、「T」という形状もいろいろありうることを紹介した上で、他でもなくこの形状に絞り込んだ理由を「力強さと繊細さとかしなやかさとかが、両立している」点に求めている。まずは他でもなく「T」として見ること。これが佐野による最初の設定である。


「で、見て頂いてわかるように、(曲線部分を指さしながら)ここのRの部分がありまして、これは今楕円的なものが入っていると思うんですけれども、僕はこれを見て、亀倉雄策さんが1964年の東京オリンピックの時に作られた大きい日の丸というものをイメージさせるものになるんじゃないかなと思いまして、単純に「T」という書体と「円」という書体を組み合わせたようなデザインができるのではなかろうかということを思いました。そこで作ったロゴが、今回のこの東京オリンピックパラリンピックのエンブレムになります」

 次に「T」のどこをどのように見ればよいのかである。佐野は「T」の曲線部分を指さし、文字装飾の一部分に「楕円的なものが入っている」と述べている。重要なのは、このようにデザイナーが見ているものが示されることで、私たちも「この図形には楕円も含まれている」と見えるようになってくることである。そして佐野はこの楕円と「大きい日の丸」を関連付け、「T」と「円」という組み合わせが、東京オリンピックパラリンピックのエンブレムにもなりえると説明している。つまり、円形という概念を用いて「T」を見ること。これが佐野による二つ目の設定である。

「図解で示しますと、正方形を9分割しているんですね。で、9分割して、ここの真ん中の黒いラインは、オリンピックの黒いロゴと対比したような形で黒の帯をとっております。ここの赤い丸なんですけど、鼓動(引用者注:質疑応答では「赤い丸を心臓の位置に置きたい」とも説明)をちょっとイメージしたような形で左上に置かさせて頂いて、ここの円とここのオリンピックロゴの円が、同じ(引用者注:縦の)ライン上に並ぶようにデザインしていて、ここの羽根の部分(引用者注:ゴールドの部分)は、この大きい円の周りの部分を使っているものです。で、右下(引用者注:シルバーの部分)にこのものを反転してを使っているようなものとしてデザインしています」

 続いて、エンブレムにおける各パーツの配置についてである。佐野はエンブレムの上に線が描き重ねられたボードを示して、「正方形を9分割している」と述べている。ここでも重要なのは、このようにデザイナーが見ているものが具体的に示されることで、私たちも「この図形は9分割された正方形に収まっている」と見えるようになることである。そして佐野はこの正方形の中央部分を「黒い帯」、右上部分を「赤い丸」、ゴールドとシルバーの部分を「羽根」と呼び、それぞれのパーツが円形とそれを囲い込む正方形との関係で成り立っていると説明する。つまり、円形とそれを囲い込む正方形との関連において「T」を見ること。これが佐野のよる三つ目の設定である。

 ここまでを踏まえると、今回のエンブレムには三つの設定がある。一つ目は他でもなく「T」として見ること、二つ目は円形という概念を用いて「T」を見ること、三つ目は円形とそれを囲い込む正方形との関連において「T」を見ることである。今回の記者会見で佐野はこの三つを説明しながら「デザインの考え方が違う」と述べたのだが、どういうわけかそれでも記者から「デザインの考え方が違うというのが、素人でもわかるように説明して頂きたい、どう違うのでしょうか」と再説明を求められてしまい、以下のように答えた。

「繰り返しになってしまいますが、リエージュ劇場のほうは、シアター・リエージュで「T」と「L」で作られてますよね。それでこちらは、「T」と「円」ということをベースにしてユニットの組み合わせで作っているものですので、まずデザインに対する考え方が違うと言ったのはその意味です。そしてディティールを見て頂いても、ここの部分が接しているですとか、ここにこう大きい円が入っているですとか、下の書体も同じなのではないかこととベルギーのデザイナーの方は申しているようなんですけれども、これは全く違う書体です。なので、表層的に見ても、実際のデザインの考え方としても全く違うと僕は思います」

 ここではリエージュ劇場のロゴと今回のエンブレムの区別がなされている。つまり、リエージュ劇場のロゴは「T」と「L」の組み合わせだとした上で、今回のエンブレムは「T」と「円」の組み合わせだと述べている。このようにして佐野は「表層」をどのように見ればよいのかを説明し、またその区別を支えるのが先に述べた三つの設定であると具体的に示し、「実際のデザインの考え方としても全く違う」と述べているのである。

 重要なのは、このようにデザイナーが見ているものが具体的に示されることで、私たちもリエージュ劇場のロゴと東京オリンピックパラリンピックのエンブレムが「異なる」と見えるようになることである。そしてこのように説明されれば、デザイナーではない私たちでもデザイナーが見ているように見えてくるのである。デザイナーによる説明を聞いて、デザインを「理解」するとはきっとこのような経験なのであろう。

 とはいえ、説明に不十分な点もある。例えば、今回の説明は組織委員会が既に発表している「すべての色が集まることで生まれる黒は、ダイバーシティを。すべてを包む大きな円は、ひとつになったインクルーシブな世界を。そしてその原動力となるひとりひとりの赤いハートの鼓動」(https://tokyo2020.jp/jp/emblem/)という文面に対応していたとは言えない。むしろ、今回の記者会見は佐野自身におけるデザインの見方を説明したに過ぎない。

 また佐野によれば、リエージュ劇場のロゴは「T」と「L」の組み合わせである。しかし、実際のところは黒い丸も使用されており、その中に白抜きで「T」と「L」が描かれている。したがって、東京オリンピックパラリンピックのエンブレムは「T」と「円」の組み合わせであるという説明が決定的であるとは言い切れないところもある。

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 今回の問題は視覚的な類似点への気付きが「模倣ではないか?」と話題になって始まったものである。そして、デザイナーによる記者会見では「T」を円形や正方形と関連付けて見てもらうための説明が尽くされることになった。「模倣」という理解から「それなりに設計されたデザイン」へと理解を書き換えていくための具体的な手順が、今回の記者会見で示されたのである。

 振り返ってみれば、このような「もっともらしさ」はデザインにおいてとても重要なものである。というのも、このように説明をされることで、デザイナーではない私たちはその対象をどのように見ればよいのかを定めることができるからである。専門家でなくても「見てわかる」とはこのような経験のことであり、またこうした経験を通じて私たちはデザインをわかったことにしているのであろう。

 要するに、デザインの何を見て何を見ないのかは、私たち自身の説明の仕方と不可分な関係にある。また「見る」ということは概念の利用と深く結びついてもいる。驚くべきことに、私たちはどの概念を用いるのかによって、見えている対象をどのように理解するのかも変わってしまうのである(前田泰樹+水川喜文+岡田光弘(編)『エスノメソドロジー新曜社、2007年、pp.210-216)。その意味において、今回は私たちがいかなる概念を用いて「T」を見るのかという視覚的なせめぎあいが生じていたのであろう。

 なお、このように「もっともらしさ」を競うことはそんなにおかしなことではない。というよりも、そもそも決定的かつ必然的なデザインは存在しないので、なぜ他でもなくそのデザインなのかを説明し続けなくはならない。その意味で、デザインはどうしようもなく言葉と不可分であり、何度でもどのようにでも語り直されていくのである(加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学:近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』せりか書房、2014年)。

 今回の騒動は、デザインにこうしたややこしさがあることを私たちに再確認させてくれた。デザインは言葉であり、私たちは何かしらの概念を用いることで、「見る」という行為をその都度達成しているのである。こうした面倒臭さと経験の可変性を引き受けながら面白がることが、現在の私たちには求められているように思う。(2015.8.5)

エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ)

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