KoSAC「アート×キャリア×ネットワーキング Vol.3」

第10回KoSAC「アート×キャリア×ネットワーキング Vol.3」のお知らせ 「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、略称コサック)」では、国分寺を中心に「芸術」「文化」「社会」をテーマとしながら、毎回ゲストを招いて一緒に議論をする会を開催して…

2014年:回顧と展望

30代もあと一年。20代の頃とは好みもすっかり変わり、昔の自分にはきっと笑われるに違いない。20代までは自分の好きなものばかりを見ていたのだが、30代になって好き嫌いをちょっとだけ宙吊りにして転がす楽しみを覚えた。思い込みから少しだけ自由になるこ…

KoSAC「画像の問題系 演算性の美学」合評会

第9回KoSAC「gnck「画像の問題系 演算性の美学」合評会」のお知らせ 「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)」では、大学の街でもある「国分寺」を拠点に「社会」「芸術」「文化」などをテーマにしながら、毎回ゲストをお呼びして…

KoSAC「デザイン×キャリア×ネットワーキング」

第8回KoSAC「デザイン×キャリア×ネットワーキング」のお知らせ 「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)」では、大学の街でもある「国分寺」を拠点に「社会」「芸術」「文化」などをテーマにしながら、毎回ゲストをお呼びしてお話…

gnck「画像の問題系 演算性の美学」を読んで

はじめてお会いしたのは、大学2年生の時だったのかしら。当時は武蔵野美術大学芸術文化学科での非常勤講師を始めたばかりで、右も左もよくわからなかった。こんな感じでいいのかな〜と思いながら授業を終えた後に、「お勧めの読書リストを作ってもらえない…

露光研究発表会2014と沖縄戦跡

「露光研究発表会2014」(http://rokouken2014.wordpress.com/)で報告するため、三泊四日で沖縄に行ってきた。2008年9月に開催された「露光研究発表会」(http://d.hatena.ne.jp/champuru/)の第二回目で、第一回目の時は「せんとくん」について報告し、今…

三陸鉄道と国道45号線

三泊四日で三陸海岸を南下した。ざっくり言えば、久慈〜宮古〜山田〜大槌〜釜石〜大船渡〜陸前高田〜気仙沼〜南三陸〜仙台〜塩竃というルート。南北300kmを2014年4月に完全復旧した三陸鉄道と国道45号線を走る路線バスで移動したので、その記録を残しておく…

KoSAC「アート×キャリア×ネットワーキング Vol.2」

第7回KoSAC 「アート×キャリア×ネットワーキング Vol.2」 「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、略称コサック)」では、国分寺を中心に、「芸術」「文化」「社会」をテーマとしながら、毎回ゲストを招いて一緒に議論をする会を開催しています…

〈広告制作者〉の歴史社会学

このページは、加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学―近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』(せりか書房、2014年、http://www.amazon.co.jp/dp/4796703306/)を紹介するものです。また、本書は日本社会学会 第14回奨励賞(著書の部)を受賞しました。…

「社会」を語る文体とセゾンの広告

永江朗『セゾン文化は何を夢みた』(朝日新聞出版、2010年)が刊行された時、「これでもう出尽くしたかな…」と思った。そしたら、『談』(第90号、たばこ総合研究センター、2011年)の「辻井喬と戦後日本の文化創造:セゾン文化は何を残したのか」特集が出て…

KoSAC「卒論修論フォーラム」

第6回KoSAC「卒論修論フォーラム」のお知らせ 「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)」では、大学の街でもある「国分寺」を拠点に「社会」「芸術」「文化」などをテーマにしながら、毎回ゲストをお呼びしてお話を伺う機会を設け…

KoSAC『アート×キャリア×ネットワーキング』

第5回KoSAC 「アート×キャリア×ネットワーキング」「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、略称コサック)」では、国分寺を中心に、「芸術」「文化」「社会」をテーマとしながら、毎回ゲストを招いて一緒に議論をする会を開催しています。第5回…

KoSAC『アメリカはアートをどのように支援してきたか』書評会

第4回KoSAC『アメリカはアートをどのように支援してきたか』書評会 「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)」では、大学の街でもある「国分寺」を拠点に「社会」「芸術」「文化」などをテーマにしながら、毎回ゲストをお呼びして…

KoSAC「表現の場についてのはなし:地域とビエンナーレの可能性」

第3回KoSAC 「表現の場についてのはなし:地域とビエンナーレの可能性」「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、略称コサック)」では、国分寺を中心に「芸術」、「文化」、「社会」をテーマとしながら、毎回ゲストを招いて、ともに議論をする会…

KoSAC「ラッセンをいかに語るのか?」

第2回KoSAC「ラッセンをいかに語るのか?」のお知らせ 「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)」では、大学の街でもある「国分寺」を拠点に「社会」「芸術」「文化」などをテーマにしながら、毎回ゲストをお呼びしてお話を伺う機…

広告都市の「死」について

広告について語ることと、都市について語ることが、いつの間にか接近するようになった印象がある。それは「広告都市」と呼ばれたりするのだが、多くの場合は「空間の自己完結性」(吉見俊哉「遊園地のユートピア」『リアリティ・トランジット』紀伊國屋書店…

「KoSAC」、始めます。

「KoSAC」 キックオフ・ミーティングのお知らせ 2013年晩夏、「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)」という会を始めます。大学の街でもある「国分寺」を拠点に、「社会」「芸術」「文化」などをテーマにしながら、毎回ゲストを…

「ラッセンという過剰さ」に至るまで

初めてお会いしたのは、武蔵野美術大学芸術文化学科での担当科目「メディアと表現」の打ち上げだった。待ち合わせたお店へ入った途端に起立して名前を名乗られたので、随分と丁寧な方だなと思った。それからは韓国料理を食べながら、「ツイッターのアカウン…

若者にとってポスターとは何か?

「ポスター」に興味を持ち始めたのは、小学校高学年の時に雑誌『サッカーダイジェスト』を読み始めた頃だろうか。マラドーナやプラティニといったスター選手の大型ポスターが「付録」になっており、それらを天井に貼り付け、どうして自分はあのようになれな…

『ザ・ベストテンの作り方』に至るまで

「へぇ、テレビでも研究が出来るんだぁ〜」と知ったのは、吉見俊哉(編)『メディア・スタディーズ』(せりか書房、2000年)を新宿御苑の古本屋で手にした時だった。当時「ドットコム企業」と呼ばれたアメリカ系インターネット企業のシドニー支社への転職話…

『デジタルメディアの社会学』に至るまで

「メディア論」との出会いは2000年前後だった。家庭用インターネットはまだISDN回線のテレホーダイが主流だったので、夜11時から朝8時までの定額料金時間帯にいろいろと遊んで、それから寝るような感じであった。こんな生活をしていて本当に大丈夫なのか?と…

「原爆を視る」展の開催中止に伴う、図録用原稿の公開

2011年3月11日は本務校におり、揺れの強さから東海地震かと思った。間もなく「東日本大震災」と呼ばれ始め、津波・余震・原子力発電所の事故に伴う、ライフラインの確保・停電・飲食物の摂取制限・風評・買い占め・疎開といった多重的な不安に対して、そんな…

満たされているようで、満たされないあの感覚

デザインのことを書く機会が多いからか、美大出身と思われることがある。そのように思われてしまうのは仕方のないことだが、個人的にはそのように理解したくなってしまうこと自体を問題にしてきている。デザイン(や美術)は、それくらい自分とは別の世界の…

有名性と文化人

南後由和+加島卓(編)『文化人とは何か?』(東京書籍、2010年)に関するワークショップを、日本マス・コミュニケーション学会@東京国際大学で行うことになりました。執筆者の多くが揃う機会ですので、この機会にご批判やご感想を拝聴させて頂けると幸い…

『文化人とは何か?』

南後由和+加島卓(編)『文化人とは何か?』(東京書籍、2010年)が刊行されました。誰も深くは信じていないのに、どういうわけか語り続けられてしまう形象としての〈文化人〉。私たちは〈文化人〉という「何か」をうっかり口にしてしまうが、その中身や境…

デザイン・フェスタ:無審査という理念

かつての勤務先というのは、今になって訪れるのが、どこか恥ずかしい場所である。だからこそ、簡単には足を運ばないし、行ったところでそっけなくしてしまう。いや、実はこれも甘えであって、やがては消えるのであろう「あの時の思い出」との戯れであり、ま…

『ソラニン』の語り切れなさ

好きな作品について語ろうとして、失敗することがある。なぜなら、好きな理由が「作品そのもの」にあるというよりも、「作品との関係」にあるからである(昔はどうでもよかった曲が、あいつとの思い出のなかで、いい感じに聞こえてくる…)。それゆえ、その関…

デッサンからの離脱を楽しむ

「美術の見方が分からない」。本気かどうかはともかく、このように前提されるからこそ、「美術の見方」を語る人がいる。しかし、その人が何を言っているのかが、わからない。いや、その人が何を前提としているのかがわからないので、何を語られても、その人…

高校における専門教育と教養科目

ご無沙汰です、元気にしています。「高校でも教えているようだが、一体何を?」と聞かれることが多くなったので、簡単に記しておきます。 勤務地の一つである「埼玉県立芸術総合高校」(http://www.geiso-h.spec.ed.jp/index.html)は、2000年4月に開設され…

第7回竹尾賞

2008年5月に左右社より刊行した拙稿「デザインを語ることは不可能なのか」(『文字のデザイン、書体のフシギ』所収)が、第7回竹尾賞(デザイン評論部門)を受賞しました。 竹尾は見本帖という紙のショールームで知られた専門商社で、竹尾賞はヴィジュアル…