KoSAC「アート×キャリア×ネットワーキング Vol.2」

第7回KoSAC 「アート×キャリア×ネットワーキング Vol.2」 「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、略称コサック)」では、国分寺を中心に、「芸術」「文化」「社会」をテーマとしながら、毎回ゲストを招いて一緒に議論をする会を開催しています…

〈広告制作者〉の歴史社会学

このページは、加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学―近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』(せりか書房、2014年、http://www.amazon.co.jp/dp/4796703306/)を紹介するものです。また、本書は日本社会学会 第14回奨励賞(著書の部)を受賞しました。…

「社会」を語る文体とセゾンの広告

永江朗『セゾン文化は何を夢みた』(朝日新聞出版、2010年)が刊行された時、「これでもう出尽くしたかな…」と思った。そしたら、『談』(第90号、たばこ総合研究センター、2011年)の「辻井喬と戦後日本の文化創造:セゾン文化は何を残したのか」特集が出て…

KoSAC「卒論修論フォーラム」

第6回KoSAC「卒論修論フォーラム」のお知らせ 「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)」では、大学の街でもある「国分寺」を拠点に「社会」「芸術」「文化」などをテーマにしながら、毎回ゲストをお呼びしてお話を伺う機会を設け…

KoSAC『アート×キャリア×ネットワーキング』

第5回KoSAC 「アート×キャリア×ネットワーキング」「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、略称コサック)」では、国分寺を中心に、「芸術」「文化」「社会」をテーマとしながら、毎回ゲストを招いて一緒に議論をする会を開催しています。第5回…

KoSAC『アメリカはアートをどのように支援してきたか』書評会

第4回KoSAC『アメリカはアートをどのように支援してきたか』書評会 「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)」では、大学の街でもある「国分寺」を拠点に「社会」「芸術」「文化」などをテーマにしながら、毎回ゲストをお呼びして…

KoSAC「表現の場についてのはなし:地域とビエンナーレの可能性」

第3回KoSAC 「表現の場についてのはなし:地域とビエンナーレの可能性」「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、略称コサック)」では、国分寺を中心に「芸術」、「文化」、「社会」をテーマとしながら、毎回ゲストを招いて、ともに議論をする会…

KoSAC「ラッセンをいかに語るのか?」

第2回KoSAC「ラッセンをいかに語るのか?」のお知らせ 「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)」では、大学の街でもある「国分寺」を拠点に「社会」「芸術」「文化」などをテーマにしながら、毎回ゲストをお呼びしてお話を伺う機…

広告都市の「死」について

広告について語ることと、都市について語ることが、いつの間にか接近するようになった印象がある。それは「広告都市」と呼ばれたりするのだが、多くの場合は「空間の自己完結性」(吉見俊哉「遊園地のユートピア」『リアリティ・トランジット』紀伊國屋書店…

「KoSAC」、始めます。

「KoSAC」 キックオフ・ミーティングのお知らせ 2013年晩夏、「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)」という会を始めます。大学の街でもある「国分寺」を拠点に、「社会」「芸術」「文化」などをテーマにしながら、毎回ゲストを…

「ラッセンという過剰さ」に至るまで

初めてお会いしたのは、武蔵野美術大学芸術文化学科での担当科目「メディアと表現」の打ち上げだった。待ち合わせたお店へ入った途端に起立して名前を名乗られたので、随分と丁寧な方だなと思った。それからは韓国料理を食べながら、「ツイッターのアカウン…

若者にとってポスターとは何か?

「ポスター」に興味を持ち始めたのは、小学校高学年の時に雑誌『サッカーダイジェスト』を読み始めた頃だろうか。マラドーナやプラティニといったスター選手の大型ポスターが「付録」になっており、それらを天井に貼り付け、どうして自分はあのようになれな…

『ザ・ベストテンの作り方』に至るまで

「へぇ、テレビでも研究が出来るんだぁ〜」と知ったのは、吉見俊哉(編)『メディア・スタディーズ』(せりか書房、2000年)を新宿御苑の古本屋で手にした時だった。当時「ドットコム企業」と呼ばれたアメリカ系インターネット企業のシドニー支社への転職話…

『デジタルメディアの社会学』に至るまで

「メディア論」との出会いは2000年前後だった。家庭用インターネットはまだISDN回線のテレホーダイが主流だったので、夜11時から朝8時までの定額料金時間帯にいろいろと遊んで、それから寝るような感じであった。こんな生活をしていて本当に大丈夫なのか?と…

「原爆を視る」展の開催中止に伴う、図録用原稿の公開

2011年3月11日は本務校におり、揺れの強さから東海地震かと思った。間もなく「東日本大震災」と呼ばれ始め、津波・余震・原子力発電所の事故に伴う、ライフラインの確保・停電・飲食物の摂取制限・風評・買い占め・疎開といった多重的な不安に対して、そんな…

満たされているようで、満たされないあの感覚

デザインのことを書く機会が多いからか、美大出身と思われることがある。そのように思われてしまうのは仕方のないことだが、個人的にはそのように理解したくなってしまうこと自体を問題にしてきている。デザイン(や美術)は、それくらい自分とは別の世界の…

有名性と文化人

南後由和+加島卓(編)『文化人とは何か?』(東京書籍、2010年)に関するワークショップを、日本マス・コミュニケーション学会@東京国際大学で行うことになりました。執筆者の多くが揃う機会ですので、この機会にご批判やご感想を拝聴させて頂けると幸い…

『文化人とは何か?』

南後由和+加島卓(編)『文化人とは何か?』(東京書籍、2010年)が刊行されました。誰も深くは信じていないのに、どういうわけか語り続けられてしまう形象としての〈文化人〉。私たちは〈文化人〉という「何か」をうっかり口にしてしまうが、その中身や境…

デザイン・フェスタ:無審査という理念

かつての勤務先というのは、今になって訪れるのが、どこか恥ずかしい場所である。だからこそ、簡単には足を運ばないし、行ったところでそっけなくしてしまう。いや、実はこれも甘えであって、やがては消えるのであろう「あの時の思い出」との戯れであり、ま…

『ソラニン』の語り切れなさ

好きな作品について語ろうとして、失敗することがある。なぜなら、好きな理由が「作品そのもの」にあるというよりも、「作品との関係」にあるからである(昔はどうでもよかった曲が、あいつとの思い出のなかで、いい感じに聞こえてくる…)。それゆえ、その関…

デッサンからの離脱を楽しむ

「美術の見方が分からない」。本気かどうかはともかく、このように前提されるからこそ、「美術の見方」を語る人がいる。しかし、その人が何を言っているのかが、わからない。いや、その人が何を前提としているのかがわからないので、何を語られても、その人…

高校における専門教育と教養科目

ご無沙汰です、元気にしています。「高校でも教えているようだが、一体何を?」と聞かれることが多くなったので、簡単に記しておきます。 勤務地の一つである「埼玉県立芸術総合高校」(http://www.geiso-h.spec.ed.jp/index.html)は、2000年4月に開設され…

第7回竹尾賞

2008年5月に左右社より刊行した拙稿「デザインを語ることは不可能なのか」(『文字のデザイン、書体のフシギ』所収)が、第7回竹尾賞(デザイン評論部門)を受賞しました。 竹尾は見本帖という紙のショールームで知られた専門商社で、竹尾賞はヴィジュアル…

〈伝達〉のいかがわしさ

それなりに知られたコマーシャルクリエイターのお話を聞く機会があった。そこで改めて知ったのは、次の二つに聴衆の関心は集中するということである。 一つ目は、「なぜ、○○を起用したのか?」や「どうして、こういう展開なのか」といった、コマーシャルにお…

「どういうわけか」許せない…

友人の結婚式で、随分と丁寧に作られたパワーポイントを見て、関心したことがある。なんというか、パワーポイント的に話を進めていく身体がしっかり出来ていて、話の内容ではなく、そのようにして話していること自体が、もう一つの内容になっているのである…

一人暮らしのアーカイブ化

都内へ行く時は「急行」が当たり前だった私にとって、所謂「上京」の経験はない。とはいえ高校卒業までは、「東京=山手線の内側、譲っても23区内」だと悪友に吹き込まれていたので、「03」という市外局番の省略が自明ではなく、「お前んちに電話すんの、め…

高校生と大学生の差異

たまに高校へ行くと、学校的日常にぐっと吸い寄せられる。バス停から校門まで小走りする生徒がいて、校舎に入れば上履きに履き替える。どこかそっけない事務室と靜かな校長室を横目に、手描きのポスターが貼られた廊下を足早に抜けると、ざわざわとした職員…

展示物としての論文

18歳の頃、「えっ?シェイクスピアス?」とマジメに聞き返した友人がいて、当時所属していた大学の社会的な位置を改めて知ったことがある。だから7年前に、「ドストエフスキーって誰なんですか?」(大学院生)→「私はついにその日が本当にやってきたことを…

デザイナーを書き取る可能性

今更だが、デザインそのものではなく、デザイナー語りこそ、私の好みである。なかでも「この作品の本当の意図は…」といった作品語りではなく、「心から好きなことを話せる友達はいなかった。でも今はこの仕事で…」といった自己承認語りが、お気に入りである…

「武道館に行きたくないのか」?

「武道館に行きたくないのか」。2008年秋からのNHK連続テレビ小説「だんだん」では、芸能事務所のマネージャーが、このようにして島根・松江の少年少女を誘惑する。なんともいやらしい役なのだが、ふと「この殺し文句はまだ有効なのか?」と思う。バンドにと…