2005-07-01から1ヶ月間の記事一覧

Anna McCARTHY, AMBIENT TELEVISION, Duke University Press, 2001

メディアの空間論的な歴史は面白い。「雑誌はどこに置かれてきたのか」、「ポスターはどこに貼られてきたのか」などを写真で集めているが、この「テレビはどこに置かれてきたのか」の歴史もなかなか面白い。 “ディスプレイ的なもの”に潜入したい人たちの欲望…

森永博志『ドロップアウトのえらいひと』東京書籍、1995年

1980年代末の週刊『プレイボーイ』の連載をまとめたもの。クリエイターとしての「私」が語られる時には、当然のように「反−学問」が主張されることが少なくないけれども、この不思議な言説的関係はどのように正当化されてきたのだろう?おそらく当時において…

「マスメディア」を語る手つき

ある国立大学で先輩と一緒に担当していた「情報と社会」が終了。科目「情報」の教員免許取得を目指す学生を対象に、人文的な「メディア論」を軸にマスメディア・デジタルメディア・モバイルメディアの講義とワークショップを行い、最終回はレポートとして「…

*[critique]終わりなき「教育」、とりあえず「学習」?

「教育が問題だ!」とは、誰でもいえる。みんながそれを経験してきているからだ。「教育を改善すべきだ!」も、誰でもいえる。みんながみんな先生になる必要はないからだ。「教育」をめぐる言語空間は、どうしようもなくぎこちない。がゆえか、「教育」とい…

「不思議な拍手」が起きる時

シンポジウムや公開討論などの質疑応答で「不思議な拍手」が起きる時がある。例えば、権力者に対する皮肉めいた発言がフロアから出た時。正直なところ、僕はこれが苦手である。そういう場で「対話」のために声を挙げるのと、「主張」のために声を挙げるのは…