2005-04-01から1ヶ月間の記事一覧

クリストファー・ホロックス著、小畑拓也訳『マクルーハンとヴァーチャル世界』2005年、岩波書店

この「ポストモダン・ブックス」シリーズは解説が誰なのかが購入の決め手で、これは吉見俊哉さんによるもの。「単にこれまでの資料をデジタル化するというのではなく、むしろ大学という機能全体をヴァーチャル世界のなかで再編すること、ネットワークのなか…

現実だけがメディアじゃない

ひさしぶりに「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日)。前回遅刻(!)の姜尚中さん、今回はセーフみたいでしたが、彼のテレビ的身体がどうやって出来上がっていったのかについては、いつか聞いてみたい。この番組を「プロレス」と言ってしまえばそれまでなのだ…

「特集:科学技術と民主主義」『思想』2005年5月、岩波書店

科学技術社会学、科学史、科学哲学、科学論…、これらに強く関心をもったのは昨年頃。僕の場合は、専門家と非専門家の関係、知識の制度化と専門的職業の社会化などがメディアの問題を考える上でも非常に参考になる。今号は「良い買い物」でした。 小林傳司「…

「審判」としての科学/メディア

早朝5時頃の御茶の水。ビル間を吹き抜ける風が気持ちよかった。天気は良いし、人や車もほとんどいない。こういう時間も大切にしよう、と思った。

明治学院大学が佐藤可士和氏と組んでブランド強化

明治学院大学が、ブランド強化を進めている。アートディレクターに佐藤可士和氏を起用して、ロゴから封筒類まで、デザインの力を活用して存在感のアップに取り組み始めた。 2004年4月に就任した大塩武・学長は「明治学院大学と他の大学との違いが学生や職員…

広告≠「ブランド」

「<まち>を記憶する 21世紀のデジタル図会をつくる」という講座の補佐をしている。こちらは前半に文献購読、後半はグループ作業である。昨年度までは「東京名所図会」との関係で地図に焦点を当てたが、今年度からは「思想としてのアーカイブ」という裏テー…

『Digital Artist Avenue×デジスタ』Vol.2、2005年、宙出版

NHKの『デジスタ』が6年間も続いていることは、過小評価できない。この手の番組には「スター誕生!」的な要素が少なくないし、それを批判することは難しくないと思う。しかし、クリエイターとして「私」を確認しようとする人が今までになく増えてきているの…

準備運動としての「コンビニ」

吉見俊哉・若林幹夫『東京スタディーズ』(紀伊国屋書店、2005年)を読んで、街にはじめて「コンビニ」がやってきた小学生の頃を想い出した。「コンビニエンスストア」という発音が難しかった。初めての買ったのはミント菓子で、一番嬉しかったのは海苔がパ…

大澤真幸・北田暁大「「その程度のもの」としてのナショナリズム」『d/sign』no.10、2005年、太田出版

「サブカルチャー」は、他方にメインカルチャーがあるからだけでなく、それがマスメディアという独占的な流通回路があったからこそ成立したカテゴリーである。マスに支えられたメインがあるからこそ、「あえて」(=雨宮的)サブカルチャーにコミットするこ…

「あえて」なき「リアル」を支えるリテラシー?

「情報と社会」という講義を先輩と一緒に担当することになった。いわゆる「メディア論」で、前半は講義、後半はワークショップという構成だ。昨年度はデザイン系の専門学校が受講生だったので、メディアについての身体的な理解は抜群だった(しかし、講義は…

「特集:学力崩壊」『中央公論』2005年4月号、中央公論新社

学力論と若者論との交叉が目立つところで、学力では捉えきれない「コミュニケーション能力」(原田曜平)や「対人能力」(本田由紀)を指摘する論考は興味深い。たとえば「人間力」という言葉は、学力との対比で語られることも少なくないし、これが反=学力…

どの「格差」が問題なのか?

おひさしぶりです。何となく「はてなー的身体」を失っていたのですが、斉藤孝さんの『原稿用紙10枚を書く力』(2004年、大和書房)を読み、文章を「転」がしていくことを止めてはならないなと思い、復活させます。そこでちょっと方針を変更。(1)短時間で…