2004-04-01から1ヶ月間の記事一覧

戸田ツトム、鈴木一誌「ブックデザインの風景化と言語化をめぐって」『ユリイカ』青土社、2003年9月号

なるほど「ブックデザインというのは、グラフィック・デザインというよりはインダストリアル・デザイン的」であり、装幀は原稿の「<身体>化」である。装幀においてどこまでが文字でどこまでが図像なのか。<地>が<図>に溶け込んでいく事態、これこそが…

なにが「トホホさ」を教えてくれるのか

靴を替えてみた。少し背が高くなった気分。ギュッと体重をかけ、新しい接触感を確かめてみた。今までとはちょっと違う「あの感覚」。これは初めてではない。こうした感覚を何と呼べばよいのだろう。身体と重力を媒介するもの。人間と地面との関係を成立させ…

石原千秋、富山太佳夫、沼野充義「カルチュラル・スタディーズ再考」『文学』第5巻第2号、岩波書店、2004年3-4月

「カルスタ仕立てのポスコロ風味」は語る、○○は「構築されたもにすぎない」と。確かにこの手の論文は多い。最初の数行を読んだ途端に浮かび上がってくる国民国家批判。こうした先読みを誘導する論文はもはや読者にとってネタでしかない。こうしてネタの差異…

引用すればするほど…

やたらと説教くさい映画「イノセンス」のことはあまり覚えていない。一つ感想を言うのなら、ポピュラーカルチャーの隙間に滑り込む「知識なるもの」の前のめりな語り方にはちょいと違和感を覚えた。いやいや、きっと士郎正宗や押井守はものすごく勉強したに…

吉田光邦『[図説]技術と日本近代化』日本放送出版会・放送ライブラリー10、1977年

『万国博覧会』研究の吉田光邦の専門が科学史・技術史だったのに納得。今思う。産業を機械化すること、生産量を大量化することはどれほどの欲望だったのだろう。いやいや、「アナログ」とか「デジタル」なんていっている僕だって例外じゃない。こうした技術…

難波功士『撃ちてし止まむ:太平洋戦争と広告の技術者たち』講談社選書メチエ、1998年

随分前から手許にあったのにも関わらず読んでいなかった書籍。そうしたものに限って知りたかったことが書いてある。戦中の広告制作者を国策協力者としてラベリングしてしまうのは難しいことではないだろう。しかし、そういってしまうことで隠蔽されてしまう…

醒めている自分に醒めた

予想が外れた。色違いだったらしょうがない。グラデーションは変化球でしょう。ところで今回に限って「ファミマガール」が前面にでていないのはどしてでしょ。像さん、立っちゃってるし。 雑誌『invitation』の古舘伊知郎インタビュー(聞き手:後藤繁雄)を…

テレビ朝日「報道ステーション」2004年4月6日

昨日はどうだったのかは知らない。それでも大きな違いはないだろうと思われるのは、スタジオのカメラワークと照明。内容だけが報道なんじゃない。報道を報道たらしめる形式もあるのだ。そうした「メディアの理解」に敏感な古館こその演出なのだろう。「ジャ…

80年代的メディア身体としての古館伊知郎

久米宏が放送中に手酌でビールを飲んだこと。それはそれでいい。出川哲朗のプロポーズ劇をアホらしいと思いつつささやかに見守る僕は、放送に「公共性はかくあるべし」というような過剰な期待をしていない。日常生活におけるテレビは他のメディアとの関係に…

スーザン・ソンタグ著、木幡和枝訳『良心の領界』NTT出版、2004年

ソンタグは2つの「思考活動」をお願いする。「歴史的な認識」を「政治的見解の糧」にすること。「言葉、単語を精査し、ある言葉を使ったらその結果、話がどんな領域に入り込むのかを理解」すること。「人道的介入」という言葉で隠蔽されてしまうことに敏感…

帰還。

ケーブル交換に一週間。有料のケアサービスにしては遅すぎる。それでもサポートセンターの人には怒れない。彼らは怒られるのが仕事ではない。修理するのが仕事なのだから。辛いですよね、きっと。とにもかくにもようやくの帰還。さぁ、これで言い訳ができな…