東京五輪2020の新エンブレムについて

 二〇一五年九月に取り下げ・再募集された東京五輪2020のエンブレムが決まった(https://tokyo2020.jp/jp/games/emblem/)。模倣を疑われ、原作者の問題や審査委員会の不正行為も明らかになった前回の反省を踏まえ、今回は市民参加と審査の透明性を重視して選んだものである。
 全体として円の要素が強い東京五輪2020のエンブレムは、東京五輪1964の発展形として見ることができる。大きく一つに塗りつぶされた円から、四十五個の構成要素を組み合わせた円になったことで、多様性を肯定するようになった現代社会を表しているようにも見える。「江戸の市松模様」を知らない人には「目がチカチカ」するかもしれないが、日本の国旗さえ知っていればそれと重ね合わせて見ることもできる。
 ここまでを振り返ると、「適切な手続き」が何度も強調されたのが印象的だった。再募集前にインターネットでアイデアを募集し、18歳以上なら受賞歴に関係なく誰でも応募できるようにした。エンブレム委員にはデザイン関係者以外も多く含まれ、審査の一部は動画配信を行い、最終候補案に対して広く意見を求めた。このすべてに関わった市民がどれほどいたのかはわからないが、今までよりは開かれた選考だったと言える。
 発表記者会見では「A案ありきではないか」や「最終候補の繰り上げは適切だったか」という質問もあり、組織委員会への信頼や東京五輪2020への期待はまだ高くはない。誰からも批判されないデザインは存在しないと思うが、エンブレムを選び直すことを急いだ分だけ、五輪にとってそもそもエンブレムとは何なのかを議論する機会を逸してしまったようにも思う。
 「どのように選ぶのか」の次は、「いかに使うのか」である。しかし、エンブレムは公式スポンサーしか使うことができない。みんなで選んでも、みんなが自由に使えるわけではないのだ。このように商業利用と強く結びついたエンブレムのあり方を見直すことは、五輪のあり方を見直すことにもつながるのではないか。
 東京五輪2020のエンブレムは「パクリかどうか」に始まり、「出来レースかどうか」を経て、「日の丸に見えるかどうか」に落ち着いたと考える。グラフィックデザインにしかできないことは何であり、その専門家と市民の関係はいかにあるべきか。それらのことを考えさせられた九ヶ月だった。

エンブレムの最終候補4作品について

 2015年9月に撤回され、再募集することになった東京五輪2020のエンブレムは、エンブレム委員会による審査で4点に絞られ(応募総数:14,599→形式チェック:10,666→一次審査:311→二次審査:64→三次審査:4)、商標に関する調査と手続きが完了し、最終候補の4作品が公開され、国民から意見を募ることになった(https://tokyo2020.jp/jp/games/emblem/evaluation/)。最終審査は4月25日に行われ、エンブレム委員による議論と投票を経て決定し、理事会で承認する運びだという。

 この件についての見解は『毎日新聞』(2016年4月9日朝刊、http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160409/k00/00m/050/085000c)にも掲載してもらったが、以下ではその元原稿を公開する。200字の予定と言われ、記者会見から一時間でまとめらたのは600字だった(笑)。一言で言えば、東京五輪2020のエンブレムは「パクリかどうか」から「出来レースかどうか」を経て「日の丸に見えるかどうか」に落ち着くのではないかと思う。

 【総評】今までになく丁寧に選ばれたと思うが、子どもが真似できない模様だなと思った。多様性を肯定する時代になって、デザインの構成要素や色が複雑にならざるを得ない現状を見せられたようにも思う。そしてこれに商標や様々な制約条件が加わるので、シンプルなデザインで独自性を主張できない現代社会を象徴しているように見える。
 【個別評価】最終候補4作品についてはエンブレムだけでなく、タイトルやコンセプトと一緒に評価したほうがよい。説明があれば、デザインの見方を定められるからである。説明がなければ、見た目の印象論が一人歩きする。その上で見解を述べると、A案は「多様性という価値」、B案は「動きと速度」、C案は「身体の拡張」、D案は「未来への時間」を描いているように見える。
 【最終審査に向けてのポイント】円の要素をどれだけ残すのかだと考える。円の要素が多ければ、エンブレムを「日の丸」として見ることも可能になる。円の要素が少なければ、それをどのように見ればよいのかというコンセプトが重要になってくる。国旗を想起させない微妙な工夫をどう評価するのかがポイント。
 【選考過程について】参画や透明性が強調され、今までよりは開かれていたと思う。しかし、このプロセスの殆どに関わった市民がどれだけいたのかは疑問で、インターネットのなかのお祭りだったようにも見える。またエンブレムは公式スポンサーが利用することが前提なので、そもそも市民が自由に使えるわけではない。公式スポンサー以外も使える「第2エンブレム」のほうが、市民参加と相性がよいとも思う。

 総評の「子どもにも真似できない模様」が記事で削られたのは、とても残念。しかし「多様性を肯定する時代になって、デザインの構成要素や色が複雑にならざるを得ない現状」はとても重要なので、掲載されてよかった。要するに、多様性を認めれば認めるほどいろんな要素をデザインに盛り込まなくてはならなくなって、子どもにはよくわからないデザインになるよねってお話。
 個別評価は従来通りの主張で、デザインをどのように見るのかはコンセプトと不可分の関係にあるってお話。大喜利をしてもいいけど、その前にコンセプトは読んであげてねと言っておきたかった。個人的な見解は急いで書いたものなので、もう少し時間をかけてゆっくり見てみたい。
 最終審査に向けてのポイントは、国旗との切り離しをデザインを評価するポイントにすれば面白くなるのではないかと思った。円の要素は出てくるだろうと思ったので、その消し方を競い合うようなコンペティションになったと思う。
 選考過程については、書いてあるとおり。いやしかし、エンブレムを使えるのは公式スポンサーであり、市民は自由に使えるわけではないってことを強調しておきたかった。ここまで騒いで「市民参加」を導入したのだが、そもそもというお話。
 新聞記者に「どれが一番だと思いますか?」と聞かれたが、「4つに共通点はないので序列はつけられない。あとはどのコンセプトを選ぶのかという決断だと思う」とお返事した。個人的には、似たようなものを4つ選ぶのではなく、似ていないもので4つまで絞り込んだことは評価したいと思う。
 以下は昨晩の段階で用意していた草稿。書いておいてよかった。

 2015年9月に撤回され、再募集することになった東京五輪2020のエンブレムは、エンブレム委員会による審査で4点に絞られ(応募総数:14,599→形式チェック:10,666→一次審査:311→二次審査:64→三次審査:4)、商標に関する調査と手続きが完了し、国民から意見を募ることになった(25日に正式決定の予定)。
 エンブレム委員会の設置(9月)から最終候補案の公開(4月)までを振り返ると、ここまでの作業は最優先で進められたように見える一方で、国民の関心は旧エンブレムのようには高まらなかったように見える。原作者の問題とは別に審査委員会での不正および不適切な行為が明らかになり、組織委員会への信頼やオリンピックそのものへの期待が高い状態にあるとは言いにくいからである。
 閉鎖的と批判された前回の反省を踏まえ、今回は市民参加を強く意識したと思う。まず、再募集する前にインターネットを使って広くアイデアを募集した。そして、18歳以上なら受賞歴に関係なく誰でも応募できるようにした。さらに、選考を行うエンブレム委員にはデザイン関係者以外も多く含まれ(デザインのチェックはグラフィックデザイナーが行った)、審査の一部は動画配信も行った。このプロセスの殆どに関わった市民がどれだけいるのかはわからないが、少なくとも今までよりは開かれていたとは言える。専門家に任せると選考結果を知らされるだけなのだが、市民参加で選ぶと決定までの手続きが冗長に見えることもある。
 応募要項に従えば、タイトル(20字)やコンセプト(200字)と一緒に提出されているはずなので、エンブレムだけで評価すべきではない。エンブレムをどのように見ればよいのかは、タイトルやコンセプトと不可分の関係にあると考える。オリジナルだと思っていたものが模倣にしか見えなくなってしまったように、説明の仕方が変われば、デザインの見え方も変わる。説明がなければ、見た目だけの印象論が一人歩きする。エンブレムに対してどのようなコンセプトが与えられているのかを見極めた上で、市民がそれぞれに自分たちの見方を語ればよいのではないか。
 エンブレムは公式スポンサーが利用することが前提なので、使用ルールは厳しく、そもそも市民が自由に使えるわけではない。再募集を経て最終候補案まで絞り込まれたわけだが、誰もが使えるわけではないエンブレムに対して、市民がわざわざどのような意見を言えばよいのかは意外と悩ましい。公式スポンサー以外も使える「第2エンブレム」を作るという案も出ており、こちらのほうが市民参加で選んでいくことと相性が良いようにも思う。
 東京五輪1964のシンボルマークが印象に人びとの残ったのは、日本の国旗さえ知っていれば、誰でもあの赤い丸を「日の丸」と重ね合わせて理解できたからである。これに比べて、札幌五輪1972のシンボルマークや長野五輪1998のエンブレムをどれだけの人が記憶しているだろうか。エンブレムに円の要素を残せば、それを「日の丸」として見ることも可能になり、説明が少なくてもわかったことにできる。エンブレムから円の要素が消えれば、それをどのように見ればよいのかというもっともらしい説明が必要になってくる。どのようにでも見ることのできるデザインに対して、「そういう説明がありえるのか!」と驚かせてくれるエンブレムであってほしい。

2015年:回顧と展望

 30代最後の一年は本当にいろいろあったのだが、アート関係、書店イベント関係、エンブレム問題関係、研究関係の四つにまとめられるかな。

・「アート×キャリア×ネットワーキング Vol.3」、KoSAC(2015年1月22日、東京経済大学)、http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150122
・「卒論修論フォーラム Vol.2」、KoSAC(2015年3月21日、東京経済大学)、http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150321
・「『発表会文化論』の発表会」、KoSAC(2015年5月24日、東京藝術大学)、http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150426
・「日本におけるソーシャリー・エンゲイジド・アートの行方」、KoSAC(2015年7月13日、東京経済大学)、http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150713

 アート関係だと、光岡寿郎さん(東京経済大学)と一緒に運営しているKoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture)は年度の前半に集中し、2015年6月に「社会の芸術フォーラム」(http://skngj.blogspot.jp/p/skngj.html)が動き出してからはそちらで話を聞きに行く側になった。卒論修論フォーラムで報告した教え子がゲームプランナーとして活躍を始めるなど、嬉しい展開もあった。尾道で開催したいという話もあり、卒論修論フォーラムを含めて来年も継続していきたい。

・「時間消費型の新刊書店」、町田×本屋×大学(2015年5月22日、solid & liquid MACHIDA)、http://machidahonyadaigaku.hatenablog.com/entry/2015/04/29/235748
・「小規模の個性派書店」、町田×本屋×大学(2015年6月20日、solid & liquid MACHIDA)、http://machidahonyadaigaku.hatenablog.com/entry/2015/05/24/131118
・「書店ファンの都市論」、町田×本屋×大学(2015年7月24日、solid & liquid MACHIDA)、http://machidahonyadaigaku.hatenablog.com/entry/2015/06/28/183824
・「本の売り方を楽しむ:出版の面白さ、書棚の見せ方、書評の楽しみ方」、町田×本屋×大学(2015年11月25日、solid & liquid MACHIDA)、http://machidahonyadaigaku.hatenablog.com/entry/2015/11/09/195349

 新しい展開としては、「町田×本屋×大学」という書店イベントを始めたことである。柳原伸洋さん(東海大学)と清原悠さん(東京大学大学院生)と一緒に運営している。商業空間を調査するなかで、他でもなく「ブックカフェ」が楽しそうに見えてきたので始めたものだが、書店や出版関係者のお知り合いも増え、本当に多くのことを勉強させてもらった。本務校の学生にも手伝ってもらったり、ゼミでの報告をさせてもらったりもした。
 町田×本屋×大学は企画持ち込みの手弁当で始めたのだが、「solid & liquid MACHIDA」側のご理解もあり、お店側にはイベント担当者のポストが用意された。また、海老名ららぽーとに「BOWL」というブックカフェが出来た時には、イベントに特化した空間が設置されるようにもなった。大きな声で「社会連携」と言わなくても、やれることはある。

・【ラジオ出演】「東京五輪エンブレム問題。その本質を考える?」『Session-22』(2015年8月18日、TBSラジオ)、http://www.tbsradio.jp/ss954/2015/08/20150818-1.html
・【記事内コメント】「「酷似」ネット次々追跡」『朝日新聞』(2015年9月2日朝刊)、http://www.asahi.com/articles/DA3S11943116.html
・【記事内コメント】「Net critics central to Olympics logo scandal」『The Japan Times』(2015年9月3日)、http://www.japantimes.co.jp/news/2015/09/02/national/olympics-logo-scandal-highlights-power-of-the-internet-critic/#.Ver5WM4fNjc
・【テレビ出演】「東京五輪エンブレム“白紙撤回”の衝撃」『クローズアップ現代』(2015年9月3日、NHK)、http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3700.html
・【寄稿】「市民参加への道を探ろう」『毎日新聞』(2015年9月4日朝刊)、http://mainichi.jp/shimen/news/20150904ddm004070017000c.html
・【記事内コメント】「現代デザイン考:五輪エンブレム問題/1 亀倉雄策の“呪縛”」『毎日新聞』(2015年10月27日夕刊)、http://mainichi.jp/shimen/news/20151027dde018040061000c.html
・【対談】河尻亨一+加島卓「五輪エンブレム問題、根底には「異なるオリンピック観の衝突」があった:あの騒動は何だったのか?」『現代ビジネス』(2015年12月28日)、http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47099
・【対談】河尻亨一+加島卓「「五輪エンブレム調査報告書」専門家たちはこう読んだ?出来レースではなかった…その結論、信じていいのか?」『現代ビジネス』(2015年12月29日)、http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47141
・【対談】河尻亨一+加島卓「デザイナーをアーティストに変えた広告業界の罪?日本のデザインはこれからどうなる?:五輪エンブレム騒動から考える」(2015年12月30日)、http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47191

 今年の後半は、エンブレム問題への対応に追われた。このブログで見解を公開し始めた結果、コメント欄を閉じる展開になった一方で(笑)、ラジオ、テレビ、新聞で見解を述べる機会を経た。炎上案件だったので、ラジオやテレビはとても緊張したというか、向いていないこともよくわかった(笑)。
 実は9月にいろいろあったのだが、あの時点でやれることは十分にやったと思う。またこの件では本当にいろいろな方との出会いがあり、様々な意見に耳を澄ます機会を得たので、来年はこの半年で考えたことを本にまとめようと思う。エンブレム問題への関心は急速に冷却したように見えるが、そのことも含めて記録に残すことが私にできる仕事である。

・「美人画とポスターの概念分析」『大正イマジュリィ』(第10号)大正イマジュリィ学会、2015年3月、pp.15-35. http://taisho-imagery.org/g.shtml
・「〈広告制作者〉の歴史社会学──近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』を書くまでとこれから」、第88回日本社会学会大会(2015年9月19日、早稲田大学) ※日本社会学会第14回奨励賞(著書の部)受賞記念講演

 研究関連では、「〈広告制作者〉の歴史社会学:近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』(せりか書房、2014年)が日本社会学会第14回奨励賞(著書の部)を受賞したことが本当に嬉しかった。どなたかに書評を書いてもらえるとありがたいなと思ってエントリーしたのだが、まさかの受賞でとても驚いたのを覚えている(関係者のみなさま、本当にありがとうございました)。出版社在庫もごく僅かになったようなので、「神風」が吹いたとしか思えない一年だった。
 これ以外に二つの論文を入稿しているのだが、公刊は来年になる。一つは「80年代」に関する論集で、「誰もが広告を語る社会:天野祐吉と初期『広告批評』の居場所」というもの。もう一つはメディア論の教科書で、「広告の個人化:監視社会と消費行動への自由」というもの。前者はもうすぐだけど、後者はいつになるのかしら(笑)。あとは「90年代」に関する現代社会論系教科書の執筆を進めなければならない。
 博論本関係は一段落したので、来年はエンブレム問題の本を書き進めながら、新しい研究テーマを出していきたい。昨年に続き、今年もめっちゃ悔しい思いをした案件もあったのだが、まぁこういう振れ幅に慣れていくしかないのかな。それから来年は非常勤先を調整して、都心の大学でも講義するので、帰り道が楽しみでもある。
 今年もお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いします。

旧エンブレムの調査報告書とクリエイティブ・ディレクター

 2015年12月18日、「旧エンブレム選考過程に関する調査報告書」が発表された。「旧エンブレム策定過程の検証報告書」(2015年9月28日)で8名のデザイナーに参加要請文書を事前に送付していたこと及び、入選者3名はこの8名に含まれていたことが明らかになり、この事前参加要請と審査結果の関係について組織委員会は民間有識者に調査を依頼していたのである。調査概要と報告書の概要は、以下の通りである。

(1)外部有識者調査チーム
・鵜川正樹(公認会計士)、森本哲也(弁護士、元東京地検検事)、山本浩(法政大スポーツ健康学部教授)、和田衛(弁護士、元東京地検検事)
(2)検証方法
・メール、DVD等の資料検証。
・関係者のヒヤリング(組織委員会職員(マーケティング局担当者、制作局法務課の商標登録担当者を含む)、審査委員(8人中6人)、事前送付されたデザイナー8人などで合計27人、計32時間)
(3)調査内容
・参加要請文書の事前送付から入選作品の決定までの経緯
※「選考過程調査報告詳報(上) 1次審査通すため審査員につぶやき 映像で確認「隠れシードだ」」(http://www.sankei.com/affairs/news/151218/afr1512180040-n1.html
※「選考過程調査報告詳報(下) 「佐野作品は各審査委で一番多数の得票集めた」」(http://www.sankei.com/sports/news/151218/spo1512180022-n1.html

2020年東京五輪パラリンピック競技大会組織委員会が18日発表した旧エンブレム選考過程に関する調査報告書の要旨は次の通り。 (肩書は当時)
 【参加要請文書発出】
 大会エンブレムについて、デザイン界の権威である永井一正審査委員代表は、最高レベルのデザイナー少数が競い合う指名コンペティションで選定すべきだとの意見だった。
 大会組織委員会の槙(まき)英俊マーケティング局長は、開かれた公募方式が適切と考え、応募資格を一定の実績を有するデザイナーに限った公募コンペを決定した。
 ところが永井氏は公募では、日本を代表するデザイナーは参加を控える可能性があると考えた。槙氏は、永井氏と組織委の高崎卓馬クリエイティブ・ディレクターと協議し、佐野研二郎氏を含む計8人のデザイナーに参加要請文書を送った。この事実は公表されなかった。広く開かれたコンペを行うとしていながら、永井氏や高崎氏の主観で少数のデザイナーを選定し、公募発表前に秘密裏に送付したことは、選定に当たり何らかの情実が働いたのではないかといった疑念を招くおそれが高い行為で、不適切といわざるを得ない。
 【優遇措置の有無】
 永井氏は、参加要請した8人全員を無条件で2次審査に進め、慎重に審査すべきとの意向だった。槙氏と高崎氏は画策し、審査委員でもある高崎氏が8人の作品番号を知っており、投票数の途中経過が把握できることを利用すれば、8人の作品を2次審査に進められると考えた。
 1次審査は審査委員の投票で2票以上を得た作品が2次審査に進む。高崎氏は1次審査で、8人中7人の作品に投票。投票締め切りが迫った時、槙氏と高崎氏は、投票を終えた永井氏に対し8人のうち2人の作品が、審査通過に必要な2票に満たない旨をささやいた。高崎氏は永井氏を連れて2人の作品を指差しして特定し、投票札を渡した。永井氏は指示された2作品に次々と投票した。その結果、8人の作品の審査通過が確定した。
 8人のみに優遇措置を講じようとしたことは不適切だ。槙氏や高崎氏が、秘密裏に永井氏に耳打ちして、追加投票させた行為は明らかな不正で、国家的事業であるエンブレムの選定過程で、このような不正が実行されたことは、誠に嘆かわしい事態だ。
 【当選作決定への影響】
 2次審査に進んだのは37作品。このうち14作品が最終審査に進んだ。最終審査では審査委員の投票で最多票を得た佐野氏作品がエンブレム候補に決まった。佐野氏作品は1次、2次、最終審査の全ての過程で、得票数が最多だった。
 不正は1次審査に限り、永井氏、高崎氏以外の審査委員が関知しないところで、秘密裏に行われたもので、佐野氏作品を大会エンブレム候補として決定するという結論に影響を与えたとは認められない。永井氏が佐野氏を参加要請対象者に選んだこと自体に不合理な点は見当たらない。
 【調査範囲外の事項】
 槙氏は商標登録上の問題から佐野氏の作品の修正が必要となった際に、修正で対応するのか、次点を繰り上げるのかといった根本的な点について審査委に意見を求めることなく、佐野氏作品の修正を進めた。最終決定権が審査委にあるのか、組織委にあるのかなど、大会エンブレムの決定に関する審査委の責任と権限を明確かつ緻密に定めていなかったという点に問題があった。また組織委は8作品を入選作品とする旨記載し、公表していたが、入選作品を決める手続きすら行わなかった。
 【結び】
 「大きな目的のために不正を不正と思わない」。聞き取りの中で繰り返された言葉には「結果第一主義」にどっぷり浸(つ)かった仕事の進め方があった。しかし、手続きの公正さを軽視し、コンプライアンスに目をつぶる、なりふり構わぬ働きぶりは、現代の組織委には全くそぐわない。
 最も大きな瑕疵(かし)は「国民のイベント」「国民に愛される大会エンブレム」ということに思いをいたさずに、専門家集団の発想で物事を進め、「国民」の存在をないがしろにしてしまったところにある。作品がどんなに素晴らしくても、選定手続きが公正さを欠けば、国民の支持を得られるはずがない。再スタートを切った選定手続きは「私たちのエンブレム」と胸を張れる作品を公正に選ぶことが求められている。
(「旧エンブレム選考 調査報告書要旨」『東京新聞』2015年12月19日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tokyo_olympic2020/list/CK2015121902000212.html

 一言で言えば、「不適切な点と不正はあったが、出来レースではなかった」というわけである。この報告書は「事前参加要請と審査結果の関係」に注目しているので、そこを見ればそのように言えるのかもしれない。しかし、この報告書によって「何があったのか」はある程度知ることができたが、「なぜこんなことになったのか」を知ることはできない。
 審査委員の一人だった平野敬子氏のブログ記事(http://hiranokeiko.tokyo/)とも読み合わせてみたのだが、まだ明らかになっていないのは、「組織委員会にとってクリエイティブ・ディレクターとは一体何者であり、いかなる役割を与えられていたのか?」である。「出来レースかどうか?」は「事前参加要請と審査結果の関係」だけでなく、この点が明らかにならないと判断できないと考える。
 というのも、クリエイティブ・ディレクターは組織委員会のポストであるにもかかわらず、審査委員を兼ねていたからである。審査委員会の独立性を考えれば、このこと自体が奇妙に見える。組織委員会と審査委員会の両方を行き来し、審査委員代表と共に8名の参加要請対象者を選び、審査の過程で8名の作品リストを特権的に知り得たクリエイティブ・ディレクターには、そもそもいかなる役割が与えられていたのであろうか。この点は9月末に「旧エンブレム策定過程の検証報告書」が発表された時から申し上げてきたのだが(http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20151002)、未だに明らかになっていない。
 日本社会で「クリエイティブ・ディレクター」という役職が語られるようになったのは、1960年代前半の広告代理業においてである(『〈広告制作者〉の歴史社会学せりか書房、2014年)。経済成長に伴って広告業が活性化するなか、多数のクライアントに対応していくための新しい管理職が必要となり、アートディレクターやコピーライターの上に広告制作全体を管理していくクリエイティブ・ディレクターを設置するようになったのである(中井幸一『アメリカのクリエイティビティ』美術出版社、1963年)。
 しかし、当時からこうした傾向は胡散臭がられていた。亀倉雄策によれば「広告業者がはずかしいようなキャッチフレーズを呼んでいるが、実状はそんなものは、どこにもないという気がしてならない」(「ニューヨークと東京の間」『ニューヨークのアートディレクターたち』誠文堂新光社、1966年)ものであり、横尾忠則によれば「だいたいね、広告界は横文字が多すぎますよ」(「原点から幻点へ」『デザイン』美術出版社、1969年11月号)と揶揄の対象でもあった。
 実際のところ、グラフィックデザイナー、アートディレクター、コピーライターなどはそれぞれに業界団体を結成することを通じて「職業の一つ」であることを主張していた。しかし、クリエイティブ・ディレクターが業界団体を結成することはなく、長い間「広告代理店の役職の一つ」に留まっていたと言える。
 こうした見え方が変わってきたのは、2000年代に入ってからである。一つには広告クリエイターが「クリエイティブ・エージェンシー」として独立する傾向が高まったこと、二つには広告業界の外部でもクリエイティブ・ディレクターが語られるようになったことが挙げられる。
 クリエイティブ・ディレクターという言葉が少し目立つようになってきたのは、2000年前後に広告代理店から独立するクリエイターが相次ぎ、新たな職場が「クリエイティブ・エージェンシー」として総称され始めた頃である。その嚆矢として知られるのは「TUG BOAT」(1999年設立)であり、電通から独立した岡康道(クリエイティブ・ディレクター)、川口清勝(アートディレクター)、多田琢(CMプランナー)、麻生哲朗(CMプランナー)から成り、広告代理店のようなメディア扱いを行わずにクリエイティブのみを手がける少数精鋭の広告会社という形を採っていた。
 クリエイティブ・ディレクターはこうした動きのなかでじわじわと新しい肩書きとして見えてくるようになった。例えば、博報堂を経て「SAMURAI」を設立した佐藤可士和は独立してからアートディレクターだけでなく、クリエイティブ・ディレクターとも名乗るようになった(厳密な使い分けをしているとも言いにくい)。また、博報堂を経て2003年に「風とロック」を設立した箭内道彦も独立してからクリエイティブ・ディレクターを名乗り始め、現在に至るまで実に様々なキャンペーンを手掛けている。
 もう一つは、2000年代になって企業のブランディング責任者がクリエイティブ・ディレクターと呼ばれ始めたという動きである。なかでもよく知られているのがファッション業界であり、服のデザインだけでなく、広告やイメージ戦略からショップの空間設計までブランディングの全てを任される。例えば、トム・フォードはグッチのクリエイティブ・ディレクターとして「これまでのファッションブランドではありえなかったシステムを作り上げ、ビジネスとしても大きな成功を収め」たようである(「今、成功するビジネスは、クリエイティブ・ディレクターが創る!?」『BRUTUS』(548号)マガジンハウス、2004年6月1日号)。
 広告業界とは微妙に異なるこのような見え方が出てきた結果、クリエイティブ・ディレクターは企業のブランディング責任者であるかのように語られ始める。こうした動きのなかでは、例えばアップル・コンピュータのスティーブ・ジョブズもクリエイティブ・ディレクターなのである(林信行スティーブ・ジョブズ:偉大なるクリエイティブ・ディレクターの軌跡』アスキー、2007年)。
 これらのことを踏まえれば、クリエイティブ・ディレクターとは2000年代以降に広告業界の枠を越えて企業のブランディング責任者として語られるようになってきたと考えられる。東京五輪2020の組織委員会におけるクリエイティブ・ディレクターにどのような役割を与えられていたのかは説明がなされないとわからないのだが、こうした流れの延長線上に設けられたポストであろうと思う。
 しかし、組織委員会に属するクリエイティブ・ディレクターは、いかにして旧エンブレムの審査委員を兼ねることができたのか。なぜマーケティング局長は入らず、クリエイティブ・ディレクターだけが審査委員会に入れたのか。そして、組織委員会と審査委員会の両方を行き来し、審査委員代表と共に8名の参加要請対象者を選び、審査の過程で8名の作品リストを特権的に知り得たクリエイティブ・ディレクターには、そもそもいかなる役割が与えられていたのであろうか。やはりこの点が明らかにならなければ、旧エンブレム問題は判断し切れないところがある。
 もちろん「良いもの」を選びたかったのであろう。しかし「良いもの」を選ぶ方法は、クライアントが民間なのか国家なのかで異なる。また審査委員代表が個人の考え(参加要請した8人全員を無条件で2次審査に進め、慎重に審査すべきとの意向)を述べることは自由だが、組織委員会としてそれを採用しないという判断や審査委員代表を他の方にお願いするという選択肢もありえた。組織委員会と審査委員会の関係が明確ならば、クリエイティブ・ディレクターが責任をもって決断すべきところだったと思う。
 しかし、調査報告書には「デザイン界の権威」という表現が審査委員代表に対して使われている。組織委員会のそうした理解の仕方が、「なかなか断りにくい」状況を生み出しているようにも見えなくもない。だとすれば、ブランディングの責任者だったのかもしれないクリエイティブ・ディレクターの役割とは一体何だったのだろう。そのあたりが知りたいのである。

エンブレム問題における広告代理業とグラフィックデザイナー

 旧エンブレム問題をめぐり、組織委員会は第三者からなる有識者会議を発足させ、調査を行うと発表した。2015年10月20日の時点では『日刊スポーツ』のみなのだが、以下のように報じられている。

 「アートディレクター佐野研二郎氏(43)がデザインし、盗作疑惑で白紙撤回となった20年東京五輪パラリンピックの公式エンブレム問題を巡り大会組織委員会が第三者からなる有識者会議を発足させ、調査を開始することが19日、分かった。組織委関係者によると現在、調査に参加する有識者と事前調整中で近々、調査を開始する。
 担当者だったマーケティング局の槙英俊局長、審査委員だった高崎卓馬クリエーティブディレクターらを含め調査を行う見通し。2人は2日、出向解除となり広告大手電通へ戻った。
 両氏は公募開始前、8人に参加要請した「招待状」の送付に関与。応募作品が「104→37→14→4」と絞られる過程で「14作品の中に、8人は何人含まれていたか」という問いに組織委は「調査が終わり次第ご報告する」としており、最大の疑念に迫ることとなる。」(「東京五輪エンブレム問題、有識者会議が調査開始へ」『日刊スポーツ』2015年10月20日http://www.nikkansports.com/general/news/1555017.html)。

 まったくの偶然かもしれないが、この記事が出る前日に別の新聞から取材依頼があり、エンブレム問題における広告代理業とグラフィックデザイナーの関係について見解(2015年10月20日時点)をまとめていたので、以下に公開する。

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 エンブレム問題の前提にはオリンピック観の変化があると考える。それは「トレーニングを積んだ人が競い合うオリンピック」から「市民も参加するオリンピック」へという見え方の変化であり、「少数精鋭の祭典」から「みんなの祭典」への変化である。東京五輪2020の基本コンセプトにも「全員が自己ベスト」と書かれている(https://tokyo2020.jp/jp/vision/)。

 デザイナーは、オリンピックをスポーツだけでなくデザインも競い合うイベントだと考えてきた。だからこそ、公募するにしても高い水準のデザインが選ばれるべきだと考えている(原研哉「デザイン開花する東京五輪に」『毎日新聞』2014年5月28日、http://www.ndc.co.jp/hara/thinking/words/2014/05/post_17.html) 。「東京デザイン2020オープンセッション」(http://tokyo-design2020.jp/)はそのような考えを共有する五つの業界団体が名前を連ね、その活動の延長線上に旧エンブレムの応募資格や審査委員会(細谷巖、永井一正平野敬子浅葉克己、片山正通、高崎卓馬、長嶋りかこ、真鍋大度)があったと言える。

 旧エンブレムは指名コンペではなく公募にしたのだが、それでも「いつものメンバー、いつものやり方」に見えたことは否めない。デザイナーから見れば今までになく「開かれていた」のかもしれないが(原研哉「コンペ 明快な基準を 五輪エンブレム 不可欠な専門性」『毎日新聞』2015年10月5日、http://mainichi.jp/shimen/news/20151005dde018040028000c.html)、そうした文脈を共有しない市民には「やっぱり、閉じている」ように見えたのである。その意味で、旧エンブレムはオリンピックの見え方が変わるなかでデザインという「競技」への参加資格をどのように設定するのかという問題になったのだと思う。

 東京五輪2020に向けては、デザイナーにある種の危機感も共有されていたと思う。例えば、東京五輪2020のエンブレムは東京五輪1964や札幌五輪1972と関連付けられたが、そこに長野五輪1998はなかった 。東京つながりで語るならば、札幌は必要ない。しかしグラフィックデザイナーつながりで語るならば、亀倉雄策永井一正、そして佐野研二郎という順番になる。長野五輪1998のシンボルマークは広告代理店のコンペによって米国のランドーアソシエーツ社が作成したものが選ばれたのだが、グラフィックデザイナーはそのことには触れずに、東京五輪1964の亀倉雄策だけを強調していたようにも見える。

 また別の資料によれば、「長野オリンピックの時には、デザイン関連の全体を見ているプロデューサー」は不在で、「ある代理店は開会式を担当するというように、役割分担をして、それぞれの代理店が担っていた。デザインコミッティーというのがあったというけど、盛り上がらなかった」という(江並直美+原研哉+東泉一郎「2008年大阪オリンピックを考える」『デザインの現場』(美術出版社、1999年2月号)における、原研哉の発言)。グラフィックデザイナーには長野五輪1998が広告代理店に主導されたように見え、そのことに危機感を持っていたのかもしれない。

 このように考えると、旧エンブレムの前提には長野五輪1998における広告代理店の影響力の大きさがあり、グラフィックデザイナーは東京五輪2020でそのようにはならない方向を探り、「東京デザイン2020オープンセッション」から旧エンブレムへの道筋を作ったように思われる。組織委員会マーケティング局長やクリエイティブ・ディレクターはその調整役だったのかもしれない。

 つまり、広告代理店主導の長野五輪1998の反省と危機感を踏まえ、東京五輪2020ではグラフィックデザイナーもそれなりの役割を担えるようにと広告代理店が調整に回った可能性が考えられ、その結果の一つとして八名に送られた事前の参加要請があったのではないかとも見える。

 重要なのは、こうしたことを「業界的にはそれなりに努力をした」とするのか、「それでも透明性が低い」とするのかである。少数精鋭型のオリンピック観を前提にすれば前者にように理解できるし、市民参加型のオリンピック観を前提にすれば後者のように理解できる。旧エンブレム問題は、このようにオリンピック観が衝突するなかで生じた移行期の出来事だったのではないだろうか(2015.10.20)。

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 取材された記事は以下の通りです。
・【記事内コメント】「現代デザイン考:五輪エンブレム問題/1 亀倉雄策の“呪縛”」『毎日新聞』(2015年10月27日夕刊)、http://mainichi.jp/shimen/news/20151027dde018040061000c.html

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※追記:外部有識者による調査が開始されました(2015年10月29日)。

「アートディレクター佐野研二郎氏(43)がデザインし、盗作疑惑で白紙撤回された2020年東京五輪パラリンピックの旧エンブレム問題を巡り29日、外部有識者による調査チームの第1回会合が行われた。
 メンバーは和田衛弁護士(元東京地検検事)、森本哲也弁護士(同)、鵜川正樹公認会計士青学大特任教授)、山本浩法大教授(現エンブレム選考委員、元NHK解説委員)の4人。
 旧エンブレムの選考の関係者を聞き取り調査し、11月までに調査を終える予定。調査結果の公表は年内に行う。
 調査の対象者はエンブレム選考への招待文書を送付した組織委の前マーケティング局長・槙英俊氏(出向解除で現在は電通)、審査委員だった組織委のクリエーティブディレクター高崎卓馬氏(同)、他審査委員7人。そして佐野氏を含めた招待文書を送付されたデザイナー8人らとなる見通し。
 しかし、聞き取り調査を申し入れても断ることはでき、強制力はないため、どこまで真相に迫れるかどうかは定かではない。不正な選考があった場合でも「処分」を科せるかどうかについても、未定だという。
 応募作品が「104→37→14→4」と絞られていく過程で、14作品の中に、招待状送付者8人は何人含まれていたかは既に事実として組織委の事務局が確認済みだというが、広報担当は「それも含めて全てまとめて12月に公表したい」と話すにとどめた」(「五輪エンブレム問題の調査始まる 結果は年内公表」『日刊スポーツ』2015年10月29日、http://www.nikkansports.com/general/news/1559100.html)。

※追記:外部有識者による調査の進捗が報道されました(2015年11月27日)

 白紙撤回された20年東京五輪の旧エンブレム問題で、審査過程を調査する外部有識者チームが、組織委の元マーケティング局長らが昨年11月に開かれた審査会に与えた影響を中心に調査していることが26日、分かった。
 日刊スポーツが入手した調査対象者に送られた質問状には、元マーケティング局長の槙英俊氏と元クリエーティブディレクター高崎卓馬氏の名前が明記され、「審査2日目の冒頭で高崎氏が残った14点の作品について商標上の問題がある作品を指摘しているが、佐野研二郎氏の作品については、どのような指摘があったか」などと書かれていた。
 「T」という単純文字をデザインしたことで、多数の類似作品が出てくる恐れがあったにも関わらず、佐野作品が通過した点に意図がなかったか、注目しているようだ。
 調査チームの公認会計士・鵜川正樹氏は取材に「(槙氏、高崎氏)中心にとは言えないが皆、調査には協力的。調査結果は処罰というより事実のあぶり出し」と話した。
 両氏は公募開始前、佐野氏ら8人に招待文書を送付したことが判明し今年10月に出向解除となり、出向元に戻った。調査対象は他に審査委員7人、招待文書を受け取った8人らとなる見通し。調査結果は12月中に公表される。
 ◆旧エンブレムの経緯 今年7月に発表された佐野作品は、直後にベルギー・リエージュ劇場のロゴに酷似しているとの指摘があった。その後、より「T」の文字が鮮明な原案を公表し、同ロゴとは違うことを訴えたが、それが逆にタイポグラフィの巨匠ヤン・チヒョルト氏(故人)の展覧会ポスターのデザインと酷似していると指摘され、9月1日に白紙撤回に追い込まれた。同月末、組織委が8人に招待状を送付していたことも発覚。10月29日、和田衛弁護士ら4人の外部調査チームが発足した。
(「五輪旧エンブレム問題で調査、佐野作品通過点に注目」『日刊スポーツ』2015年11月27日、http://www.nikkansports.com/general/news/1571849.html

エンブレム問題と組織委員会

 2015年10月2日、東京オリンピックパラリンピック組織委員会は槙英俊・マーケティング局長と高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクターの退任を発表した。組織委員会によれば、「旧エンブレムに関する問題の影響で、適正かつ円滑な業務遂行が困難であると判断したため」という(『朝日新聞』2015年10月3日)。槙英俊は組織委員会の旧エンブレム担当者であり、高崎卓馬は旧エンブレムの審査委員の一人だった。二人は組織委員会マーケティング活動を担う専任代理店・電通の社員で、電通から組織委員会への出向を解除された形である。

 この報道に接して思い浮かべたのは、10月1日に発売されていた『週刊新潮』(2015年10月8日号)の「「五輪エンブレム」七転八倒 「新委員会」船出の前に片付けたい「インチキ選考」仰天の真実」という記事である。週刊誌はこれまでもエンブレム問題の報道をしていたが、この記事はこれまでの取材の集大成とでもいうべき「調査報道」になっている。この記事は「電通から来ている2人」(槙英俊と高崎卓馬)が組織委員会で果たしたと思われる役割を複数の取材から浮かび上がらせ、応募デザイナーだけに配布された「エンブレムデザイン制作諸条件」、旧エンブレム策定過程の検証報告書で明らかになった「参加要請文」の本文、旧エンブレムの2位と3位の案なども掲載して、これまで知られていなかった情報に溢れている。

 偶然なのかもしれないが、この記事が出た翌日に二人の退任が発表されている。9月28日の記者会見では、槙英俊・マーケティング局長の戒告処分は組織委員会として写真を無断使用した件に対してであった。高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクターは、その時には処分されてはいない。本当に偶然なのかもしれないが、この記事が出た翌日にこの二人の退任が発表されたことで、旧エンブレム問題は一つの折り目を迎え、後は丁寧な検証を待つ状態になったと思う。

 以下は、『週刊新潮』(2015年10月8日号)を踏まえたメモ書きである。

(1)同記事によると、組織委員会は応募したデザイナーに「エンブレムデザイン制作諸条件」という資料を配付し、その「エンブレム策定について(2)」には「3.オリジナリティを持ち国際的に認識されているイメージ(例:各国国旗、国際機関シンボルマーク等)と混同されるようなデザインを含まないで下さい。(IOCの規定による)」と書いてあったという。この記事に従えば、募集の時点でいわゆる「日の丸」と混同されやすいデザインは回避するようにと指示が出ていたのである。

 今になって「エンブレムデザイン制作諸条件」の存在が明らかになり、それを踏まえて佐野研二郎による原案を見ると、確かに最終案のような「大きな円」を見つけることはできない。そこにあるのは、「小さな赤い丸」だけである。しかしこれに対して、組織委員会の内部から「これはおかしい。日の丸を足元に置くなんて」という意見が出ていたのだから(『朝日新聞』2015年9月28日朝刊)、結局のところは「日の丸」として理解されてもおかしくない要素が含まれていたと言える。

 興味深いのは、原案→修正案→最終案と調整されていくなかで「大きな円」が現れ、それにもっともらしい説明を与えようとしたら、結果的には「エンブレムデザイン制作諸条件」に反してしまった点である。「模倣」という見え方に対して「それなりに設計されたデザイン」という見え方を与えようとした佐野研二郎は、8月4日の記者会見で以下のように説明している。

「で、見て頂いてわかるように、(曲線部分を指さしながら)ここのRの部分がありまして、これは今楕円的なものが入っていると思うんですけれども、僕はこれを見て、亀倉雄策さんが1964年の東京オリンピックの時に作られた大きい日の丸というものをイメージさせるものになるんじゃないかなと思いまして、単純に「T」という書体と「円」という書体を組み合わせたようなデザインができるのではなかろうかということを思いました。そこで作ったロゴが、今回のこの東京オリンピックパラリンピックのエンブレムになります」(佐野研二郎による説明、2015年8月4日)。

 『週刊新潮』が組織委員会広報部に問い合わせたところ、「佐野氏が大会エンブレムにデザインした「赤い円」は、見た人が「日本国旗と混同する」ようなデザインではないと考えられ、IOCからも「制作諸条件」には反していないと判断されました」と回答を得たようである(『週刊新潮』2015年10月8日号)。しかし、8月4日の説明ではその「赤い円」ではなく、「大きな円」をどのように見るのかが説明の対象になっている。しかも、佐野はそれを「大きい日の丸というものをイメージさせる」と説明してしまったのである。

 もちろん、円をどのように見るのかは自由である。自由だからこそ、その円をいかに見るのかは誰でもどのようにでも語れる。こうして理解の自由度が高い円に対して、「どのように見てほしいのか」を人びとに訴えたい時、デザインにはコンセプトが必要になる。円をどのように見てほしいのかをデザイナーが説明することで、それなりの見え方を定めるのである。

 したがって、「赤い円」であれ「大きな円」であれ「エンブレムデザイン制作諸条件」によって日の丸との混同を避けるようにと指示をされていたのだから、佐野研二郎による8月4日の説明は言い過ぎであった。原案から最終案に至るまでにコンセプトやデザインの調整があったとはいえ、円については「亀倉雄策さんによるシンボルマークと関連付けて見ることもできます!」という程度で済ませておけばよかったのかもしれない(笑)。

 この点は模倣であるかないかとは別の問題である。「エンブレムデザイン制作諸条件」があったのだから、アーティストのようにオリジナリティに訴えるのではなく、その条件に従ってクライアント=組織委員会のニーズをいかに満たしたのかをデザイナーとして説明すればよかったのだと思う。と同時に、今回の件を通じてデザインとコンセプトの関係は「整合性の水準」というよりも、「とりあえず説明がなされたという事実の水準」で処理されているということが明らかになったと言えるのかもしれない(笑)。

(2)同記事は、高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクターが佐野研二郎を「特別待遇」していたのではないかと報じており、その証拠として組織委員会から佐野研二郎へ送付された参加要請文書を掲載している。

平成26年9月吉日
TOKYO2020大会エンブレムデザイン応募について

拝啓
秋晴の候、佐野研二郎様にはいっそうご活躍のこととお喜び申し上げます。
この度、TOKYO2020大会組織委員会2020年東京オリンピック大会、パラリンピック大会のシンボルマークとなる「大会エンブレム」の選定をすることになりました。このマークは、大会そのもののシンボルとして機能するだけでなく、新しい時代のシンボルとして未来が記憶するものにしていきたいと考えており、応募方法も、次世代の才能にも広く門戸を開いた「条件つきの公募」というフェアなスタイルをとることにいたしました。
選考にあたっては、グラフィックデザインの視点はもとより、今後拡張することが予想される様々なテクノロジーとも親和する次世代のシンボルをつくりたいという想いを反映した、審査チームを結成することにいたしました。
世界にむけて日本が発信する大きなメッセージを集約したものになることと思います。今回の応募作品が、すでに日本のデザインのひとつの到達点にもなりうると考えております。
つきましては日本のデザインの今、デザインのこれから、を検証し発見するために、佐野研二郎様には是非この公募に参加していただけないか、と考えております。1964年の東京オリンピック大会のように、佐野研二郎様を含む数名に絞った指名によるコンペという形をとるべきであるとのご意見もございましたが、日本全国からの寄せられる関心の高さもあり、オープンでフェアな審査スタイルをとらせていただくこととなり、このようなお願いをすることになりました。ぜひご検討ください。
敬具

TOKYO2020大会エンブレムデザイン応募事務局
審査委員代表 永井一正(手描きのサイン)
大会組織委員会クリエーティブ・ディレクター 高崎卓馬(手描きのサイン)

このお手紙は9月12日(金)の公募開始より前にお届けしております。12日(金)に東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事会にて報告されたのちに記者会見を行い、応募条件および審査チームを発表・公募を開始いたします。従いまして12日(金)の発表前まではご内密にお願いいたします。
詳しい応募条件は、発表後に改めてご連絡させていただきます。
(『週刊新潮』2015年10月8日号より)

 この文書に従えば、「次世代の才能にも広く門戸を開いた」ものを想定し、その上で「条件つきの公募」にすることが「フェアなスタイル」になると考えていたことがわかる。というのも、「1964年の東京オリンピック大会」は「数名に絞った指名によるコンペ」でシンボルマークを決定したからである。だからこそ、その時と同じく閉じた方法にはならないようにしようと思って、「オープンでフェアな審査スタイル」としての「条件つきの公募」になったと読むことができる。

 旧エンブレム策定過程の検証報告書によると、こうした応募条件の設定は槙英俊・マーケティング局長と高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクターで行い、「国内外のトップデザイナーによるコンペとするため、定評あるデザイン賞の複数回受賞者による「条件付き一般公募」で行うことにした」わけだが、これが「閉鎖的との批判」を招いたと言われる。

 グラフィックデザインに通じていない者ならば、そのように見えて当然だと思う。しかし、この文書の文脈に従えば「指名によるコンペ」よりも「オープンでフェア」であることを目指した結果として、「条件つきの公募」に至ったことには一定の理解を示してもよいと思う。少なくとも、「1964年の東京オリンピック大会」よりはまともなやり方を目指したのである。もちろん、それでも「いつものメンバー、いつものやり方」になっていたこと自体に変わりはないのだが(笑)

 その上で問題があるとすれば、このように「オープンでフェア」であることを目指した「条件つきの公募」への参加要請文を、8名のデザイナーに「ご内密に」と書き添えて事前に送付してしまったことであろう。公平性が求められる審査であったにもかかわらず、なぜにしてその8名を事前に選ぶことができたのか。その説明がない限りは、関係者の人脈として解釈されてしまうことは避けられないように思う。

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 インターネット上では、高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクターへの注目が早くからなされていた。もちろん私もそのことには気づいていたが、何しろ公開された情報がなかったので、憶測でいろいろと語るわけにはいかなかったし、未だに彼が何をしていたのかはよくわからない。『週刊新潮』(2015年10月8日号)はそうした隙間を複数の取材で埋めようとしているが、やはり本人に話してもらわないと評価できない部分は少なくない。

 今になってみれば、8月から9月にかけては公開された情報が極めて少なく、そうしたなかでラジオや新聞やテレビで見解を述べてしまったことが本当におかしくてしょうがない(笑)。あの状況あのタイミングで「パクリである/ない」以外の論点でグラフィックデザインの話にするのがどんなに「負け戦」であり、またそれでも炎上トピックを抱えた生放送で「面白いですよね〜」と絞り出すのにどんなに苦労したことか(涙)。凄く悔しいけれども、組織委員会の側から見れば「マジで笑える奴」だったのではないかと思う。

 とはいえ、エンブレム問題を通じて「アートとデザインの違い」だけでなく、「グラフィックデザイナーと広告代理業の区別」も多くの人びとに知ってもらえたらいいなと思った。もちろん問題のある部分もあったが、この二ヵ月でグラフィックデザイナーばかりが説明責任を負わされ、広告代理業側がなかなか口を開いてくれないのは、本当に悲しいことだった。あの状況でも自分たちがやっている仕事のことをなんとか人びとにわかってもらおうとしたグラフィックデザイナーのことを忘れてはならないと思う。

 エンブレム問題を通じて、沈黙するしかなかったグラフィックデザイナーたちの仕事がそれなりに評価される社会であってほしい。

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追記(2015.10.15)
・「新マーケティング局長に電通・坂牧氏 東京五輪組織委」『朝日新聞』2015年10月15日

 「2020年東京五輪パラリンピック組織委員会の新マーケティング局長に、組織委のマーケティング活動を担う専任代理店、電通スポーツ局の坂牧政彦氏(48)が就任することが14日、わかった。15日付。
 組織委は白紙撤回された旧エンブレムの選考を担当した同じく電通社員の槙英俊・前マーケティング局長との出向協定を今月2日に解除した。
 坂牧氏は、慶大法学部から90年に電通入社。五輪・パラリンピックのスポンサー獲得や、東京マラソンの立ち上げ、運営などを行った。」(http://www.asahi.com/articles/ASHBG4F5CHBGUTQP00R.html

旧エンブレム策定過程の検証報告書について

 2015年9月28日、東京五輪パラリンピック競技大会組織委員会は「エンブレム委員会」の設置を発表する前に、森喜朗会長がエンブレム問題について「国民のみなさまにご心配をかけたことをおわびしたい」と謝罪した。森会長によれば、「エンブレムのコンセプトの議論がないまま専門的なデザイン性を重視したこと」と「組織委員会内での策定作業が一部職員で行われ、十分なチェック機能が働かなかったこと」が問題だったという(『毎日新聞』2015年9月29日朝刊)。

 そして組織委員会の改革チームを設置すると同時に、武藤敏郎事務総長(月額20%を二ヵ月分)、布村幸彦副事務総長(月額10%を一ヵ月分)、佐藤広両副事務総長(月額10%を一ヵ月分)ら三名の報酬の自主返納と、組織委員会が作成した資料で写真の無断使用があった件で槙英俊マーケティング局長の戒告処分を発表したのである(森会長は無報酬のため自主返納はできない)。

 重要なのは、これと同時に組織委員会が外部有識者の意見を踏まえて作成したという「旧エンブレム策定過程の検証報告書」が示されたことである。そして同報告書によれば、2014年9月の公募発表前に槙英俊マーケティング局長の指示の下、永井一正審査委員長、高崎卓馬クリエイティブディレクターの連名でデザイナー8名に参加要請文書を事前に送付していたことが明らかになり、さらに旧エンブレム選定における上位3名(佐野研二郎原研哉葛西薫)は事前に要請した8名のなかに含まれていたことも判明したのである。

 こうしたことから、組織委員会は事前参加要請と審査結果の関係について外部有識者による調査が必要だとしている。またその他にも同報告書には「秘匿性を最優先し説明や広報が絶対的に不足」、「受賞歴を持つデザイナーに応募条件を限定」、「審査委員の過半数がデザイン関係者で偏りと受けとられた」、「インターネットの画像検索技術の進歩を意識した対策が足りなかった」、「詳細な制作経緯の説明が遅れた」といった反省点が記されている(『毎日新聞』2015年9月29日朝刊)。報告書の要旨は、以下の通りである。

旧エンブレム策定過程の検証報告 要旨(『東京新聞』2015年9月29日朝刊)
 二〇二〇年東京五輪パラリンピック競技大会組織委員会が二十八日発表した旧エンブレム策定過程の検証報告書の要旨は次の通り。 
【エンブレムの考え方】エンブレムは大会の象徴、最重要アイテムであり、策定にあたってはデザインの高度な専門性と国際商標登録のための秘匿性を重視した。しかし策定を急ぐあまり基本的なコンセプトについて詰め切れず、また秘匿性を最優先したため、組織内部での情報共有、議論もされず、国民への広報も足りなかった。このため、国民の強い支持を得られず、類似デザインの存在もあり、取り下げという事態に至った。
【応募要件】選考方法の枠組みづくりは組織委の担当局長、招致の経緯やコンセプトを熟知した組織委クリエーティブ・ディレクターで行った。国内外のトップデザイナーによるコンペとするため、定評あるデザイン賞の複数回受賞者による「条件付き一般公募」で行うことにした。このため、閉鎖的との批判を招いた。制度設計を担当部局のみで行ったためであり、組織全体で検討すべきだった。
【審査委員の選任】競争から質の高いものを選び抜こうと考え「わが国のグラフィック・デザイン界を代表する方」「一流のデザイナー」などの視点で人選を行った。しかし、多様な意見を反映させ、エンブレムを着用する選手などを加えるべきだった。担当部局が「デザイン的に優れたものを作る」という思いだけで走り、策定プロセスが開かれたものでなければ納得感が得られないことに、思いが至らなかった。
【公募・審査】秘匿性に注意を払い、ごく限られた人間しか審査過程に関与しないことにしたため、説明や情報発信などが絶対的に不足し、透明性に欠けた。著作権の問題が生じる可能性は低いかどうかなど、もっと考慮して審査すべきであった。担当局長の判断で八名のデザイナーに事前に参加要請文を送付した。結果的に上位三名は、この八名に含まれていた。事前参加要請と審査結果の関係は、民間有識者による調査が必要。
【原案の修正】当初は軽微な修正で済むと考えていたが、国際商標登録をとるための検討を重ねていくうちに、大きな変更となった。修正は組織委クリエーティブ・ディレクターが佐野研二郎氏に伝達し、修正は佐野氏が行った。審査委員会の役割や組織委員会との関係を事前に詰め、審査委員会が審査委員会として責任を果たせる体制をつくるべきであった。
【発表から取り下げに至る経緯】著作権侵害はないと確信し、法律的に問題ないことを説明し続ければ国民の理解を得られると考えていた。ベルギーのデザイナーが起こしたIOCに対する訴訟への影響を考慮し、国民に制作経緯を説明するのが遅れた。第三者の写真を無断使用した会見用資料のチェックを怠るなど、著作権への認識が不足していた。
【まとめ】「国民に向き合って策定する」「著作権などについてクリアできる案を検討する」などの対応をとっていれば、取り下げには至らなかった。新エンブレムを国民参加で策定し、信頼回復に努める。国民に向き合った組織運営へと転換し、大会準備に全力を挙げる。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tokyo_olympic2020/list/CK2015092902000200.html

 組織委員会としては、旧エンブレムの問題を(1)エンブレムの考え方、(2)応募要件、(3)審査委員の選任、(4)公募・審査、(5)原案の修正、(6)発表から取り下げに至る経緯、の六つに分けて示した形になっている。

 先とは別の整理をすれば、(1)エンブレムの考え方については基本的なコンセプトも決めずに秘匿性を最優先した点、(2)応募要件についてはマーケティング局長とクリエイティブディレクターの二名で決定していた点、(3)審査委員の選任についてはグラフィックデザイナー中心になっていた点、(4)公募・審査については八名のデザイナーに事前に参加要請文を送付していた点、(5)原案の修正については審査委員会への報告が適切になされていなかった点、(6)発表から取り下げに至る経緯については対応の遅さと著作権認識が不足していた点である。

 この時点で最も問題があると思われたのは、(4)公募・審査の「八名のデザイナーに事前に参加要請文を送付していた点」である。民間企業がクライアントの場合、デザイナーを予め指定して「指名コンペ」を行うこともあるだろう。しかし組織委員会公益法人であり、しかもエンブレムの選考を「公募」を行うとしていた以上、それなりの公平性が求められる。

 もし参加要請文を送付した8名のデザイナーだけでコンペを行うのであれば、なぜにしてその8名なのかを組織委員会がクライアントとして説明し、人びとに理解を求めればよい。しかし実際には公募として104点の応募があり、しかも上位3名は事前に参加要請した8名に含まれていた。こうなれば、審査そのものが疑われても仕方がない。組織委員会にはさらなる検証とその公開が求められる。

 振り返ってみれば、エンブレム問題は原作者に模倣の疑いが掛けられたことで始まったのであった。しかし、模倣の疑いを解こうと説明を重ねる過程において、組織委員会にも問題が少なくないことが明らかになってしまった形である。

 これまでは応募する側のグラフィックデザイナーにだけ説明責任が求められてきた状態だったが、このような展開になれば組織委員会マーケティング局長及びクリエイティブディレクターにも説明責任が求められる。グラフィックデザイナーと広告代理業がどのような関係にあるのかはこれまで殆ど明らかにされてこなかったが、今までの慣習と今回のエンブレムの件がどのように区別されていたのかはさらなる説明が求められるところだ。

 とりわけ今回処分を受けなかった「クリエイティブディレクター」とは、組織委員会でどのような役割を担っているのか。グラフィックデザインへの信頼を回復するためにも、広告代理業の方には是非とも口を開いてもらいたい。